なぜ風営法が問題になっているのか? 2010年頃から本格化したクラブの摘発
2012年4月5日、大阪のクラブNOONが「無許可で客を踊らせた」という風営法の違反で摘発され、8人が逮捕された事件で、大阪地方裁判所は元クラブ経営者に対して無罪の判決を下した。数多くの問題点が指摘される風営法の改正に向けても大きな一歩となるであろう今回の判決を機に、クラブ規制の現状を再確認し、問題の根本を考えてみたい。
なぜ日本のクラブはその多くが無許可で営業を行っているのか。まずは改めて、風営法の問題点を整理しておこう。1948年に「風俗営業取締法」として制定された風営法でダンスが規制の対象となったのは、当時のダンスホールが売春の温床とされ、男女によるペアダンスがその行為を助長するものとみなされたからである。しかし、時代は移り変わり、もちろん現在ではクラブと売春に直接的な結びつきはない。また、1984年の風営法大幅改正時に「青少年の健全な育成を目的とする」という目的規定が創設され、ダンスを規制することの理由の幅が広がったものの、近年では中学校の体育でダンスが必修となるなど、一方でダンスは健全な育成の手助けになるものとされているだけに、規制の対象となるのは辻褄が合わず、「時代にそぐわないのではないか」との声が多く聞かれる。
また、薬物のイメージや、騒音・近隣住民への迷惑などの観点から、クラブ自体の存在を問題視する声もあるが、これをダンスという行為そのものと結びつけるのはやや乱暴だと言えよう。クラブ側の自主規制も進み、IDチェックや周辺警備の徹底といった努力が進められているにも関わらず、風営法では原則0時までの営業しか認められていないなど、終電後が稼ぎ時であるクラブ経営の実情と合っていない、ハードルの高い内容であることも、改正の余地があるのではないかと言われている。
実際の取り締まりの事例を見てみると、2010年ごろからクラブの摘発が本格化し、ここ2~3年で20店舗近くが閉鎖に追い込まれているという。これは芸能人の薬物問題や、2012年9月に起こった六本木クラブ襲撃事件に伴うイメージの悪化が原因と見られ、2013年5月にVANITY、7月にGASPANICと、六本木の人気店が次々と摘発されたのに続いて、10月には西麻布のMUSE、今年に入ってからも、麻布十番のVILLAGEなどが摘発されている。
NOONの摘発で加速し始めた風営法改正議論、国会議員連盟も結成
そんな中、なぜNOONの事例がことさら大きく取り上げられることとなったのか。それは、NOONが18年の歴史を誇る老舗クラブであり、カルチャーの発信基地として愛されてきた場所であったことや、22時よりも前という早い時間帯の摘発であったことなどが理由として挙げられる。事件後、すぐにNOONへの支援活動がスタートし、摘発から3か月後の2012年7月、総勢90組以上のアーティストが集ったイベント『SAVE THE NOON』が開催され、後に『SAVE THE CLUB NOON』として映画化。2012年5月にスタートした、風営法の規制対象から「ダンス」の削除を求める署名活動「LET’S DANCE」の署名は15万人に達し、2013年5月に国会に提出されると、超党派の国会議員約60人による「ダンス文化推進議員連盟(ダンス議連)」も発足している。
今回の裁判では、審議が進むにつれて、摘発の根拠の不透明性が露わになっていったようだ。NOONの摘発が行われたのは、「未成年が出入りしている」というタレこみがあったことがきっかけだそうだが、摘発時のクラブ内に未成年はおらず、そもそも警察は細かい年齢の確認を行っていなかったという。また、クラブに潜入した警官の中でも、何をもって「ダンス」と見なすかの基準がきわめて曖昧であり、最終的には現場判断で「享楽的なダンスである」とされ、従業員が逮捕されたというのだ。法廷では警官が「ステップを踏むか否かで違法かどうか判断している」と証言して、傍聴席から失笑が漏れるということもあったそうで、大阪地裁が「性風俗を乱す享楽的なダンスではなかった」と判断したのは、ある意味当然だったと言えるかもしれない。
映画『SAVE THE CLUB NOON』より
文化や芸術を通じて人は他者と共生して行く術を知る
僕が様々なミュージシャンに取材をする中で、最近話題に上がるようになったのが「編集力」の重要性だ。東日本大震災や原発事故のような大事件、もしくはインターネットの浸透などによって、現代においてはかつての規範や秩序が意味をなさなくなり、今も状況は刻一刻と変化し続けている。そこで我々は過去の遺産を時代に即した形に編み直し、自分たちの進む道を作っていかなければならない。今の風営法に必要なのは、まさにこの「編集力」の考え方ではないだろうか。
今回の裁判では「何をもってダンスとするか?」の基準が曖昧であることが論点となったが、風営法の改正をめぐる最終的な論点はそこではないだろう。人が踊るということは、非常に根源的な行為であり、それに対し「ダンスとはこういうものだ」と明文化するのはそもそもおかしな話である。それよりも、そこに付随する問題を一つひとつ今に準じた形に編み直していくことこそが、今重要なことだと思うのだ。その意味では、風営法そのもの存在意義は確認されつつも、薬物や騒音の問題は個別の法で規制されるべきという見解が出されたことは、今後の風営法改正に向けた大きな進展だったのではないかと思う。
ではなぜこれまで適切な編み直しがされてこなかったのかと考えれば、そこには文化や芸術に対するリスペクトの欠如を感じずにはいられない。少し話を広げれば、コストカットが必要な際にまず候補に挙がるのは短期的な結果の見えにくい文化事業であり、アメリカでの銃乱射事件がロックバンドと結び付けられ、秋葉原での殺傷事件がすぐにアニメやゲームと結び付けられたように、社会を揺るがす出来事が起きたときにいつもスケープゴートとしてやり玉に挙げられるのは芸術行為だ。もちろん、その中身をある程度精査することは必要かもしれない。しかし、文化や芸術を通じて人は他者と共生して行く術を知るのだということを、我々は今改めて認識すべきタイミングに来ているのではないかと思う。
4月17日、カリフォルニアを拠点とするバイリンガルラッパーのshing02が監督・脚本を務めたショートムービー『Bustin’』がウェブ上で公開された。クラブに潜入した警官とダンサーとのダンスバトルを描いた20分超に及ぶ現代の寓話は、職業、世代、性別を超えた共生の瞬間を描く。こんな光景を最近どこかで見たような……ああ、これは様々な国や地域のアスリート同士が健闘をたたえ合った、ソチオリンピックのセレモニーとどこか通じるものがある。“東京五輪音頭”で踊った1964年から56年後、風営法の制定からは72年後となる2020年、僕らは笑顔でダンスを踊っているだろうか。
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