「誰もが納得できるおいしさなんてない」
ルミネが主催する「CLASS ROOM」は月に1回、自分なりのライフスタイルを持って活躍する人を講師に迎えたカルチャースクールです。「暮らしをもっと楽しくする」ことをテーマに掲げ、モデルのKIKIさんによる『山登りの楽しみ方』、世界の朝ごはんを提供するレストラン(WORLD BREAKFAST ALLDAY)を運営する木村顕さんの『朝ごはんを通して世界を知る』などの講座がこれまでに開催されました。今後も『ハワイ学』『プチリノベ入門』など、少し変わった角度でさまざまな暮らしの提案が行われる予定です。事前予約が必要ですが、なんとすべて無料。話題のケータリングユニットによるおいしいゴハンも提供されます。
6月24日、3回目の講座が開催。講師は、食にまつわる独自の文体・観察眼が楽しい著作『生まれた時からアルデンテ』で知られる、弱冠24歳のフードエッセイスト・平野紗季子さん。『私のごはんの楽しみ方』をテーマに、誰にとっても身近な「食べること」について考える時間になりました。
講座は、唐突にこんなプレゼンテーションから始まりました(Keynoteの画面にびっしりとタイプされた原稿を超早口で音読する平野さんの異様な姿を想像しながらお読みください)。
「育ってきた環境が違うからさ、好き嫌いとか否めないし、あなたがセロリが好きだったり私はエシャロットが嫌いだったりするでしょ? あなたがおいしいと思っても、私にとってはマズいかもしれないし、私がゴミクズだと思ったものが、あなたにとっては宝物だということもあるよね? 今日おいしかったものが明日はマズいかもしれないし。昔の恋人とよく一緒に食べたパンやチーズケーキが、ひどい別れ方をしたら食べられなくなっちゃったなんてこともあるよね? だから、食べ物の話ってホントに一人ひとりのものだと思う(以下略)」
これは、主催者側からオーダーされた「おいしいものの見つけ方」というお題に対する、平野さんからの回答。「食べログ」や「ぐるナビ」など、無難においしいものを提案してくれるお役立ち情報が溢れ、デートや女子会で外さないためのお店選びの必勝法は巷に流布したものの、本来ならそこで問われるべき「欲望する主体」の問題……つまりは「おいしさは一人ひとり異なるもの。じゃあ、自分は何をおいしいと思うのか?」という点こそを考えるべきなのでは、という鮮やかなカウンターパンチです。
誰もが共有し、納得できるおいしさなんてない。だから、この場で伝えられるのはあくまでも、「私(だけ)のごはんの楽しみ方」。平野さんによる講座は、このマニフェストを通奏低音にして進みました。
ごはんを豊かに楽しむための3つの方法
平野さんにとって、ごはんの楽しみ方は大まかに「選ぶ」「味わう」「残す」に分類されます。
まず、「選ぶ」。会社員でもある平野さんは、夕方の5時になると仕事そっちのけで「夕食は何を食べよう、明日は何を食べよう」ということで頭がいっぱいになります。就業後にあてどなく街をさまよう時間こそが至高で、事前情報に頼らずに直感だけで選んだお店がアタリだとたまらなく幸福だそう。そのような、おいしい店を見抜く目利きとしての自尊心を満たすコースを「プレミアムコース」と名付けているとか(逆に忙しいときは、Instagramなどで気になった店に行く「手堅い幸福コース」。食べログで高得点の店から選ぶ「エコノミーコース」を選ぶそう)。
次に「味わう」。切手収集やボトルシップ制作といった趣味と違い、食べてしまえば食べ物は姿を消してしまいます。そこで平野さんが行うのが、食べ物のキャラクター化。例えばフワフワな食感が楽しい明石焼の性格を想像して、「足腰の弱いたこ焼き」と名付けてみる。そんな独自のタグ付けによって、食は味覚以外の方法で記憶に刻まれます。また、お店にまつわるストーリーを勝手に考えてみるのも有効。例えば「腕はいいのに、感じの悪いイタリアン」があったとします。その場合、例えば「店主はかつて別れた恋人が店の噂を聞きつけて来店する日のために店を開けている。だからほかの客に愛想が悪くても気にしないんだ」などの妄想を膨らませてみる。こんな風に、食べることの楽しみは、味以上の領域へと広がり、より豊かなものになるそうです。
最後は「残す」。平野さんの食への強烈な興味を裏付けるエピソードとして、小学生の頃から日課にしている食日記がありますが、数百枚に及ぶショップカードのコレクション(レジ前に置かれている名刺やポストカード)は、味や料理を思い出すための有効なアイテムです。また、写真に残すことも食べ物への愛情を冷まさない秘訣の1つ。近年では、多くの人が食事写真をスマホやデジカメで撮影していますが、「食べかけ」でもどうやったら美味しそうに撮れるかは、小さくない悩みです。そこで平野さんは「食べかけをおいしく見せる3か条」を提唱します。ノーフラッシュ、自然光、カトラリーに付着した食べ物の粒子をできる限り拭う。この3点をおさえれば、末永く愛せる写真を手元に残すことができます。
何かを「いい」と思う理由を、他人の感性に任せない
『生まれた時からアルデンテ』には「共食孤食問題」というエッセイが所収されています。「孤食」というと、「寂しさ」ばかりが取りざたされますが、このエッセイは、「孤食」の哲学が凝縮した名文。「人と食事をする場合、純粋に食べ物と向き合うことは難しい」「皿の上で取り交わされる人間関係のせいで、肝心の味に心が届かなくなる」「共食は時々食べ物を殺す」などの独自の見解が述べられています。もちろん、人が社会的動物であるからには、積極的に他人との関わりを絶つことは社会的な死に近づくことを意味します。平野さんもそれは承知していて、エッセイの最後は「ひとりじゃなくても楽しい。そう思える日が来たら私も立派な社会人」と締めくくられています。しかしこうも書いています。「せめて食べることについては純粋に喜びたい。誰かと一緒じゃ曲がれない道もあるのだ」(同書収録「文化経済資本の見せびらかし」)。
私(だけ)のごはんの楽しみ方は、修羅の道とも言えるでしょう。化学調味料を頭ごなしに批判する意識の高いフーディストの叱責をやり過ごし、味に対するセンスを一元化する女子会の同調圧力に屈せず、10人中9人がしょぼくれた味だと認定する学食のカレーの個性を全身全霊で肯定する。そういった平野さんの修行僧のごとき求道的姿勢こそが、食べることのフロンティアを開拓するのかもしれません。
SNS全盛の今日にあって、食べ物だけでなく、ファッションもアートもカルチャーも恐るべきスピードでその快楽性を一元化しています。誰かと楽しさを共有することは褒めそやされ、人と人との関係をほぐす潤滑剤としての役割を果たさないものは不要。極端に言ってしまえば、そんな時代が今です。けれども、そこに含まれる多様性とは、狂気と強迫を伴った、きわめて個人的な「欲望する主体」の集積から生まれます。「クラスの皆が昨日テレビで放送していた『ポケモン』の話に興じる中、鱈のクリームグラタンの味と向き合おうと必死になるも挫けることを繰り返していた」小学生だった平野さんがそうであるように。
最後に平野さんが胸に刻んでいるという、編集者・岡本仁さんの言葉をご紹介します。これはマガジンハウス時代に岡本さんが編集長を務め、今では伝説化しつつあるカルチャー誌『relax』のマニフェストでもあります。
「何かをいいと思う理由が、他人の目ではなく、きちんと自分の中にある君に捧げます」
- 書籍情報
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- CLASS ROOM No.003
『私のごはんの楽しみ方』 -
2015年6月24日(水)19:00~21:00
会場:東京都 外苑前 ifs 未来研究所 未来研サロン WORK WORK SHOP
講師:平野紗季子
定員:40名
料金:無料
- CLASS ROOM No.003
- プロフィール
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- 平野紗季子 (ひらの さきこ)
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1991年福岡県出身。小さい頃から食べることが大好き。日常の食にまつわる発見と感動を綴るブログが話題となり、弱冠24歳にして『an.an』や『SPRING』で連載する他、2014年6月にはエッセイ『生まれた時からアルデンテ』を出版。自身を生粋のごはん狂(pure foodie)と称する。
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