又吉直樹の『火花』がドラマに。映像化に成功した理由を紐解く

見る人の先入観を覆す、原作を丁寧に膨らませた映像化の手つき

又吉直樹『火花』が、映像配信サービスNetflixのオリジナルドラマとして、6月3日より世界190か国で同時配信される。全10話530分、総監督を廣木隆一、各話の監督を白石和彌、久万真路、沖田修一、毛利安孝が務めている。『火花』は、少なくない人が「あれだけ売れたからといってドラマ化しないほうがいいはず」と勝手に決め込んでいる作品に違いない。自分も例に漏れずだったが、原作を丁寧に膨らませていく姿勢に、すっかり考えを改めた。端から見ていればただただ繊細な、でも、当人からすればそれなりに勇敢さを携えている芸人同士の対話が、じっくりと積み重ねられていく。投げられた言葉の断片を身体に刺して傷つきながらも関係を前に進めていく。

売れない芸人「スパークス」の徳永(林遣都)、相方の山下(好井まさお)、そして、営業先の熱海の花火大会で出会ったのが先輩芸人「あほんだら」の神谷(波岡一喜)。神谷は閑散とした客席に向かって「地獄! 地獄!」と連呼していた。それぞれが、自分の目指すべきお笑いと、守るべきお笑いと、生きるためのお笑いをいたずらにぶつけながら、思いあぐねている。そう簡単に答えなんて出ないし、答えを出そうともしない日々が続く。

©2016YDクリエイション
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神谷は言う、「これだけは断言できんねんけど、批評をやりはじめたら、漫才師としての能力は絶対に落ちる」。徳永は返す、「でも僕、物事を批評することからは逃れられへんって思うんです」。神谷は重ねるように言う、「だから、唯一の方法は、阿呆になってな、感覚に正直に、おもろいかどうかだけ判断したらええねん。他の言ったやつの意見に左右されずにな。もし俺が、人の作ったものの悪口ばかり言い出したら、おれはもう漫才師やない。その時は、俺を殺してくれ。おれはずっと漫才師でありたいねん」。

『火花』は二人の対話のみならず、彼らが見ていた風景を描いた作品だった

いつまでも芽が出ないことの言い訳に「理想の漫才師でありたい」が使われるのはやっぱりダサい。しかし徳永は、その神谷の言動を信じ、過剰なまでに神谷の美学や哲学を吸収していく。先ほど引用した会話は、原作小説では喫茶店で行なわれているが、ドラマでは喧騒に包まれた居酒屋で交わされている。原作との違いを比較しても仕方ないとの向きもあるだろうが、このシーンが喫茶店ではないところに、このドラマ化の肝がある。泥酔した二人が夜の東京に放り出されると、「夜は、息ができる…」とのテロップが入る。このドラマを見た後で小説を読み返すと、『火花』は二人の対話とともに、彼らが見ていた風景を描いた作品だったのだと当たり前のことに気づく。徳永と神谷は、幾度となく飲み交わし、酔い、社会から捨てられている自分たちを誇るかのように、あるいは慰め合うかのように、閑散とした夜の街を歩き、走る。

全篇を通して見た後で、もっとも頭にこびりついている光景は、深夜の車道を体一つで嬉々と走り抜ける二人の姿であり、路肩で地表を恨みったらしく踏みつける姿だ。東京を「眠らない街」などと評するのはいかにも平凡でつまらないが、東京の夜はこうして眠るからこそ、そこでようやくゆっくり息のできる人を救い出す。夜の街に置いてけぼりにされた人たちが、愛おしく映し出される。物語は、深い夜をまたぐ度に動いていく。

とことん不器用で、器用になるのを怖がる男たちを描く

やがて、ネタ番組からの出演依頼を受けるなどして、徐々に売れ始めていく徳永。一方の神谷は、同棲相手の真樹(門脇麦)に追い出された後も、借金を重ねては気丈に振る舞っている。ゆっくり崩壊していく神谷だが、なぜだか温和なようにも見える。でもそれは、とがった刺を自分で引っこ抜いて、すっかり丸くなってしまったから。人の真似をし、安らかな暮らしに無理やり自分の体を押し込んでいた。徳永が、ついに神谷に噛みつくときがくる。「神谷さん、人の真似するの、死んでも嫌やって、言うてましたよね。自分自身の模倣もしたくないって言うてましたよね。これ、模倣じゃないんですか」。

©2016YDクリエイション
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それぞれの浮き沈みのなかで、徳永は気づいてしまう。「日常のふがいない僕は、あんなにも神谷さんを笑わすことができるのに、舞台に立つ僕で神谷さんは笑わない。僕は、結局、世間というものを剥がせなかった」。不器用な男たちが、器用になるのを怖がる。漫才の実力はめきめき向上していくが、実力だけで売れることはない。システムに媚びて、偉い人にすがり、流行に乗っからなければ売れない。そんな慣習に向かって唾を吐くのをグッと堪える人と、おもいっきり唾を吐いてしまう人の差は残酷だ。

ドラマ版に付け加えられた場面なのに「再現されている」と思う

「スパークス」や「あほんだら」が漫才に臨む姿を、時間をかけてじっくりと映し出す。時に泳ぐ視線、うねるように動く唇、たちまち滴る汗、前のめりになる二人の背中。夜の街に放り出される男と舞台の上でスポットライトを浴びる男は同じなのに、二人は双方をバランス良く受け止めることができない。誰よりも自分が自分に混乱している。そんな下手くそな生き方を演じきった林遣都と波岡一喜に見とれる。

©2016YDクリエイション
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今回、原作小説を薄めて延ばすのではなく、原作を見つめた上で、そこで起きていたであろうシチュエーションやエピソードを慎重に付け加えている。不思議なもので、付け加えられた場面なのに「おお、再現されている」と思わされる感覚がある。徳永が記し続けた「神谷伝記」から拾うならば、このドラマに流れている「その美しさは平凡な奇跡」であるし、ここに生きる人たちは「やかましいほどに全身全霊で生きている」のだ。大切にしたくなる瞬間が、ひたすら連なっている作品である。

番組情報
『火花』

2016年6月3日(金)からNETFLIXで世界190か国へ全10話一挙に同時ストリーミング配信
総監督:廣木隆一
監督:白石和彌、沖田修一、久万真路、毛利安孝
脚本:加藤正人、高橋美幸、加藤結子
原作:又吉直樹『火花』(文藝春秋)
出演:
林遣都
波岡一喜
門脇麦
好井まさお(井下好井)
村田秀亮(とろサーモン)
菜葉菜
山本彩(NMB48)
徳永えり
渡辺大知
高橋メアリージュン
渡辺哲
忍成修吾
徳井優
温水洋一
嶋田久作
大久保たもつ(ザ☆忍者)
橋本稜(スクールゾーン)
俵山峻(スクールゾーン)
西村真二(ラフレクラン)
きょん(ラフレクラン)
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田口トモロヲ
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