高橋健太郎と渡邊未帆が語る、ズークバンドKassav'の奇跡

「多様性」や「共生」という言葉が重要視される一方で、現在、世界のありとあらゆる場所で分断が進んでいる。民族や出自、経済格差や思想、世代や細かな趣味嗜好。分断の理由はさまざまだが、その中で文化はなにができるのか、ふたたびその力を問われているともいえるだろう。

現在進行形のフランス文化を紹介する『FESTIVAL SAISON ROUGE』が今年も開催される。さまざまなアーティストやダンサーがパフォーマンスが繰り広げる中、フェスティバルのテーマである「ダイバーシティ(多様性)とサステナビリティ(持続可能性)」を体現するグループが31年ぶりの来日公演を行う。それがKassav'(カッサヴ)だ。

Kassav'はフランスの海外県であるマルチニークおよびグアドループというカリブ海のアンティル諸島にルーツを持つメンバーにより、1979年にパリで結成。カリブのさまざまな伝統音楽と当時の最新テクノロジーを融合させたダンスミュージック「ズーク」を確立すると、世界的な人気を獲得した。40年に亘るKassav'の活動とは、アンティル諸島にルーツを持つ人々によるアイデンティティー確立の試みでもあった。そして、そこには分断が進む世界をふたたび繋ぎあわせるためのヒントが隠されている。

今回はKassav'が世界的なブレイクを果たした1980年代当時の様子を知る音楽評論家の高橋健太郎と、音楽学を専門とし、今年マルチニークで開催されたズークの国際会議にも出席した渡邊未帆の2人の対話を通じて、「分断を超える音楽の力」について考えてみたい。

小学校の校歌にもなる。国民的人気バンドの愛され度

―まずおふたりがどのようにKassav'と出会ったのかお話いただけますか。

高橋:1986年にパリに行ったんですが、そのときfnac(フランスの小売チェーン)で売っていたレコードを、アフリカのものかカリブのものかわからない状態で買ってきたんですね。その中にズークのレコードがあった。当時はワールドミュージックの時代で、それまで知らなかった世界中の音楽に一気に触れていたんです。ズークに限らず、コンゴのスークース(西アフリカの広い範囲で親しまれているダンス音楽)などアフリカの音楽もね。

左から:高橋健太郎、渡邊未帆

―ワールドミュージックのひとつとしてズークと出会ったという感覚だった、と。

高橋:そうですね。ただ、ズークが他の音楽とちょっと違うなと思ったのは、「パリのスタジオミュージシャンによるスタジオの音楽」だったということ。僕はJAGATARAの『おあそび』(1989年)というアルバムのレコーディングを手伝ったことがあるんだけど、そのときはパリの「スタジオ・ダヴー」で録ったんですね。ダヴーは当時のパリで一番大きなスタジオで、フランシス・レイやミシェル・ルグランのオーケストラもそこで録っていた。JAGATARAのレコーディングのころはアフリカやカリブのミュージシャンもそこでレコーディングするようになっていて、そうしたグループのひとつにKassav'がいたんです。

渡邊:1990年ごろのことですよね。

高橋:そうです。そのとき印象的だったのは、パリで活動しているアフリカやカリブのミュージシャンは意外と真面目で、遅刻もしないということ(笑)。演奏もうまくて、新しい機材も使いこなす。Kassav'のメンバーとはダヴーで会わなかったけど、「そういう真面目な人たちの音楽なんだろうな」とは当時から思っていました。

Kassav'の1984年に大ヒットした曲“ズークだけが俺たちのクスリさ”

渡邊:私はハイチ音楽の研究を何年かやっていまして、昨年フランス語圏のカリブ文学に関するシンポジウムが日仏会館であったんですよ(2018年3月の『世界文学から見たフランス語圏カリブ海―ネグリチュードから群島的思考へ』)。私もハイチ音楽に関する発表をしたんですが、今年はズークの国際会議がマルチニークで開催されるということで、音楽の研究をやっている私に声がかかったんです。ズークのことは知らないからどうしようかと思ったんですけど、とりあえず行ってみよう、と。

―ズークの国際会議とは、どのようなものなのでしょうか。

渡邊:2日間に渡ってズークとはなんぞやと話し合うもので、Kassav'の結成40周年を記念した会議だったんです。マルチニークとグアドループ(どちらもフランスの海外県で、カリブ海の島)以外の研究者は私だけ。Kassav'の創設者ピエール・エドゥアール・デシムス(脱退)とジョスリーヌ・ベロアールも全行程参加していましたし、ミュージシャン、音楽学者、文学者、言語学者、経済学者が集っていました。私は1980年代のワールドミュージックブームの中、日本ではKassav'がどのように受け入れられてきたのかを発表したんですが、向こうの研究者には「Kassav'はワールドミュージックのグループじゃない」と返されました(笑)。「Kassav'は『ワールドミュージック』というジャンルではなくて、『ズーク』という私たちのジャンルの音楽だ」と。

渡邊未帆(わたなべ みほ)
日本の前衛音楽をテーマに博士号取得(音楽学)。現在、大学非常勤講師、ラジオ番組制作、音楽関係の編集・執筆にたずさわっている。共著に『ジャジューカーーモロッコの不思議な村とその魔術的音楽』(太田出版)。2019年6月マルチニークで開かれた国際ズーク会議 「Le zouk: trajectoires, imaginaires et perspectives」に参加。

―では、マルチニークでKassav'はどういう存在なんでしょうか。

渡邊:ラジオでも毎日かかってるし、生活の一部という感じですね。ボーカルのジョスリーヌ・ベロアールはまさに国民的スター。向こうで携帯電話会社の小冊子をもらったら、表紙がジョスリーヌだったんですよ。

高橋:Kassav'はいまも変わらず、しかも順調なペースでアルバムを作ってますよね。フランスでも相変わらず人気があるみたいだし。

渡邊:私がちょうどマルチニークに行ったとき、ジョスリーヌが生まれ育ったシェルシェールという街の小学校が「ジョスリーヌ・ベロアール小学校」という名前に改名されるということで式典に参加したんです。校歌はKassav'の有名曲のひとつ“Soleil”で、ジョスリーヌと子どもたちと親御さんたち、先生たちで大合唱。(笑)

高橋:ところで、マルチニークにはKassav'の後継者といえるアーティストはいるんですか?

渡邊:マルチニークで口を揃えていっていたのは、「もしもKassav'がいなくなったら心にぽっかり穴が空いてしまう」と。Kassav'の代わりはいないということなんでしょうね。

高橋:1979年に結成したということは、日本だと1978年にデビューしたサザンオールスターズとほぼ同じぐらいですよね。代わりがいないバンドという意味では、サザンと似てるところもあるのかもしれない。

高橋健太郎(たかはし けんたろう)
1956年、東京生まれ。音楽評論家、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア、インディー・レーベル「MEMORY LAB」主宰。音楽配信サイト「ototoy」の創設メンバーでもある。一橋大学在学中から『プレイヤー』誌などに執筆していたが、82年に訪れたジャマイカのレゲエ・サンスプラッシュを『ミュージック・マガジン』誌でレポートしたのをきっかけに、本格的に音楽評論の仕事を始めた。

コンプレックスを覆した「自分たちの音楽」。Kassav'が愛される理由を考える

―なぜそこまでKassav'は支持されてきたんでしょうか。

渡邊:Kassav'はクレオール語(ヨーロッパの言語と非ヨーロッパの言語が接触して成立した混成語)で歌い続けてきたわけで、そこに誇りを持っているんですね。私が参加した国際会議にも『クレオール礼賛』(1997年 / 平凡社)を書いたラファエル・コンフィアンが参加していました。彼は長年クレオール語の重要性を説いて、大学教育や辞書の編纂などに取り組んできた人です。現地の小学校教育ではここ数年でクレオール語を取り入れることが進んでいるそうで、そうした意味でもKassav'は象徴的な存在になっているのではないでしょうか。

高橋:歴史的にいうと、カリブ海の音楽って島によって違っていて、19世紀から20世紀半ばまではキューバ音楽が影響力を持っていた。それに比べるとカリブの他の島は文化的に遅れていて、ジャマイカにしても1960年代にようやくスカが生まれたわけですよね。マルチニークやグアドループはそこからさらに遅れていたわけで、コンプレックスもあったんだと思います。Kassav'がズークというスタイルを打ち出したことで、「これが自分たちの音楽なんだ」とやっといえるようになったんじゃないかな。

―ズークの成立は、アンティル諸島在住および出身者のアイデンティティーの確立と関係があったということですね。

高橋:そうですね。あと、もうひとついえるのは、ズークという音楽が1980年代以降、世界的に広がったということ。ズークの音楽自体はハイチなどいろんな地域からの影響が強いわけだけど、それがアフリカに渡って「アフロズーク」というポップな派生ジャンルを生み出したということが大きいと思うんです。

渡邊:今回Kassav'はワールドツアーの一環として日本に来るわけですけど、そのルートを見ると、彼らがどれだけ広い地域で聴かれているかわかるんですよ。パリを拠点にして、ヨーロッパ諸国、カリブ海のギュイヤンヌ(フランス海外県)、トリニダードの後は、アフリカのコートジボワールとモザンビーク。その後が南太平洋のバヌアツ、ワリス・フテュナ(フランス海外準県)、ニューカレドニア(フランス海外領土)、タヒチ(フランス領ポリネシア)を回って日本へ。日本公演の後はヨーロッパ数カ所を回ってから、インド洋のモーリシャス島、レユニオン島(フランス海外県)、そして最後に地元グアドループとマルチニークという、彼ら独自の大規模なワールドツアーなんです。

―あと、もうひとつ重要なのは、Kassav'のメンバーのルーツが多種多様ということですよね。グアドループ出身のメンバーもいれば、親の世代でパリに渡ってきた2世もいる。フランスは植民地時代にマルチニークとグアドループを分断統治していたこともあって、フランスの海外県となってからもマルチニークとグアドループ両島の文化は分断されたままだったそうですが、Kassav'は両島からパリへ移住したミュージシャンたちが協力して結成したグループでした。

渡邊:そのテーマもまさに国際会議の中で話し合われていましたね。フランスは統治するうえで意図的に2つの島を分断したようで、たとえば理系の大学はグアドループに、文系の大学はマルチニークにある。そのこともあって著名な文学者の多くはマルチニーク出身なんです。また、話し方や立ち居振る舞いでどちらの島出身かすぐにわかるようで、ラム酒についても「ウチの島のほうがうまい」というプライドをお互い内心に持っているそうなんです(笑)。そんなマルチニークとグアドループの出身者がバンドを結成して、40年も続けてこられたというのは奇跡的なことだと話題になっていました。

―そんなマルチニークとグアドループの島民たちが共通して「これは私たちの音楽だ」と思えたのがKassav'だったわけですね。

渡邊:そうですね。Kassav'の前身グループであるLES VIKINGSも「LES VIKINGS DE LA GUADELOUPE(レ・ヴィキング・ドゥ・ラ・グアドループ)」と名乗っていたわけで、Kassav'以前はまだマルチニークとグアドループの分断はあったと思うんですね。でも、Kassav'はパリで結成されたこともあって、アンティル諸島出身者という大きな枠組みで自分たちのことを捉えられたんだと思います。

多種多様なものをゆるく融合させる。現代に必要なダンスミュージックのエネルギー

―また、Kassav'のブレイクとズークが確立した背景には、1980年代初頭のフランスの文化行政があったともいわれますよね。

渡邊:フランスでは1981年にミッテラン大統領が就任し、ジャック・ラングが文化大臣に任命されたんですが、そこから文化行政が大きく変わったんですよ。それ以前はマルチニークとグアドループでもフランス本国のラジオ放送しかかからなかったんですが、誰もが「自由ラジオ」という形の放送局を作れるようになって、自分たちの音楽を流せるようになった。

高橋:ジャック・ラングが文化大臣になってから、文化事業に予算が出るようになりましたよね。1980年代はフランス政府のバックアップのもと、海外県の文化を世界にプロモートしようという動きがすごく盛んだった。

渡邊:そういう動きの中からワールドミュージックブームも起きたわけですよね。

高橋:そうですね。ただ、Kassav'がそういうフランスの文化行政政策に乗ってブレイクしたのかというと、それだけでもない気がしていて。彼らは一気に何万人規模の会場でライブをやるようになっていたわけで、それこそ自分たちの力で広まっていったんじゃないかな。

―Kassav'はそうやって自分たちの力によって分断を超え、国のボーダーを超えていったわけですよね。その意味でも今回の『FESTIVAL SAISON ROUGE 2019』のテーマである「ダイバーシティ(多様性)」と「サステナビリティ(持続可能性)」を体現するグループでもあると思うんです。

高橋:40年も続けてきたわけだから、サステナビリティを体現する存在でもありますよね。あの時代、世界中から新しいテクノロジーとルーツのリズムを組み合わせた音楽が出てきたわけだけど、中には一時期的なもので終わってしまうケースも多かった。でも、Kassav'は新しいテクノロジーを使いながら、それを国民的文化にまで成長させたわけで、その底力はやっぱり凄いと思います。世界的に見回してみても珍しい存在じゃないかな。

渡邊:以前、ボーカルのジョスリーヌ・ベロアールがフランスのテレビ局で「共生」に関するインタビューを受けたことがあって、そこでジョスリーヌは1988年の東京公演のことを例に挙げながら、こういうことを話していたんです。「彼ら(日本人)はズークを知らなかったかもしれないけれど、それは大きな問題ではなかったの。みんなで一緒に楽しんで、それは美しい夜だったから。ズークの発展とか考えるなんてバカバカしいことだと思ったわ。共に生きることとは、違いを受け入れて、他者を尊重すること」と。

『FESTIVAL SAISON ROUGE 2019』のKassav'来日公演ポスター
『FESTIVAL SAISON ROUGE 2019』のKassav'来日公演ポスター(サイトを見る

―いい言葉ですね。

渡邊:そこにはクレオール語という自分たちの言語を大事にしながらも、どのように受け入れられても残っていく柔軟さと寛容さがあると思うんです。いい意味で「ズークはこうじゃないといけない」という厳密な決まりがない。だからこそ、ズークは世界各地に広まっていったんだと思いますし。

―現在の日本では世代や人種、思想、小さな趣味嗜好にいたるまで、あらゆる場所で分断が進んでいますよね。そんな現在の日本でKassav'を聞く意味とは、どういうところにあると思いますか。

高橋:ダンスミュージックがなにを実現するのか、人と人をどう繋げるのか、最近までそういうことを考えてなかったんだけど、「分断を超える」という意味では、僕自身そこに戻ることも必要なのかなと考えるようになってて。1983年にニューヨークでキング・サニー・アデ(ナイジェリアのダンス音楽、ジュジュのスター)のライブを観たことがあるんだけど、客層は本当に多種多様だったんです。

黒人が多いわけでもないし、白人のインテリばっかりというわけでもない。インド系の女の子が踊っていたりして、その光景が本当によかったんだよね。ダンスミュージックってそうやって人種にかかわらず踊らせてしまうということはあると思う。

Kassav'のライブの様子

―日本の社会も少しずつ多様になってきてますよね。それこそそのキング・サニー・アデのライブ会場のように。

高橋:そうそう。こないだ子どもの運動会にいったんだけど、日本にルーツがない子も結構いて、でもリレーで活躍して、みんなが応援している。その後ラグビーのワールドカップをテレビで見てたんだけど、ラグビーの日本代表って31人中15人が日本にルーツがなくて、サモアとかニュージーランド、韓国から帰化した選手とか、でも試合を見ていると、「これが日本代表です」といわれても納得しちゃうところがあって。

ダンスミュージックもそういうところがあると思う。1980年代はいまほどジャンルが細分化されていなくて、あらゆる音楽が一緒に聴かれていたわけで、そういうふうに多種多様なものをラフに融合させる空間っていまはなかなかないよね。Kassav'はまさにそういうものを体験させてくれるんじゃないかな。

渡邊:私は「ダンス」といってもダンス教室のほうを考えてしまうんですが、当然ながらまず型を先生から教えてもらって、かたちそのままを踊ることをやるわけですね。もちろんそうやって自分の身体性を磨いていくのはいいことだと思うんですけど、音楽とリズムに乗せて赴くままに好きなように踊る、そういう空間の楽しさもやっぱりあると思います。

―決まった型を踊る楽しさもあれば、好きなように踊る楽しさもありますよね。その中で自分を解放していくという。

渡邊:そうですね。高橋さんのお話でもJAGATARAのお話が出てきましたが、JAGATARAがアフリカ音楽を取り入れていく中で、江戸アケミさん(1990年没)が「やっぱ自分の踊り方でおどればいいんだよ」といっていらしたのはとても勇気づけられますね。

―来日公演はサポートメンバーも含めて14人編成でやるそうですし、かなりの迫力でしょうね。

渡邊:Kassav'のライブは、お客さんとのコールアンドレスポンスを大事にしているのですが、たとえばこれを覚えておくといいかもしれないです。代表曲のひとつに“Tim Tim Bwa Sek”という曲があって、ジョスリーヌが「Tim Tim」と呼びかけると、「Bwa Sek」と答えるのがお決まりなんです。これはアンティルの島で老人が子どもたちに昔話を聞かせるときの合言葉のようなもので、それが決まらないとなかなか曲が始まらない(笑)。

高橋:14人編成のダンスバンドっていまはなかなか体験できないから、きっと凄いだろうね。

―そもそもズークという言葉自体がクレオール語で「パーティー」という意味ですもんね。

渡邊:そうですね。「踊る場所」「踊る」という言葉が転じて、そのまま音楽のジャンルになってしまったという。この日はスタンディングの会場ですし、まさに思う存分踊れると思います。

イベント情報
『FESTIVAL SAISON ROUGE 2019』

2019年10月17日(木)~21日(月)
会場:Contact、SOUND MUSEUM VISION、渋谷ストリーム エクセルホテル東急、渋谷ストリーム ホール、東放学園、アトリエクマノ、BX CAFÉ、ブルーノート東京、PLUSTOKYO、アンスティチュ・フランセ東京

『Saison Rouge presents Kassav'(カッサヴ)特別公演』

2019年10月21日(月・祝前)
会場:東京都 渋谷ストリーム ホール
開場:19:00
開演:20:00(22:00終演予定)
出演:Kassav'(カッサヴ)
MC:渡邊未帆(早稲田大学非常勤講師)
料金:前売8,000円 当日10,000円
主催:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本、株式会社エフイーユー
助成:財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル
企画制作:Saison Rouge実行委員会
協力:J im J imagine Japan(NPO日本マルチニークグアドループ友好協会)
協賛:楽天チケット

プロフィール
渡邊未帆 (わたなべ みほ)

日本の前衛音楽をテーマに博士号取得(音楽学)。現在、大学非常勤講師、ラジオ番組制作、音楽関係の編集・執筆にたずさわっている。共著に『ジャジューカーーモロッコの不思議な村とその魔術的音楽』(太田出版)。2019年6月マルチニークで開かれた国際ズーク会議「Le zouk: trajectoires, imaginaires et perspectives」に参加。

高橋健太郎 (たかはし けんたろう)

1956年、東京生まれ。音楽評論家、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア、インディー・レーベル「MEMORY LAB」主宰。音楽配信サイト「ototoy」の創設メンバーでもある。一橋大学在学中から『プレイヤー』誌などに執筆していたが、82年に訪れたジャマイカのレゲエ・サンスプラッシュを『ミュージック・マガジン』誌でレポートしたのをきっかけに、本格的に音楽評論の仕事を始めた。



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