『東京オリンピック』が開催される2020年には、外国人と接する機会も確実に増えると予想されるが、既に日本には多くの外国人が定住しており、人口の1割を外国人が占めている地域もあるという。昨今は移民の受け入れについての議論を耳にすることも増えているが、果たして我々は彼らについてどれほどのことを知っているだろうか。
そうした在留外国人との交流を通してアートプロジェクトを企画し、多文化共生についての多様な考え方を提示しているのが、アートプロジェクト『アートアクセスあだち 音まち千住の縁』の一環である「イミグレーション・ミュージアム・東京」だ。きれいごとだけではない、素朴な疑問や好奇心を大切にしたアプローチで、彼らの実情や文化背景を紹介する作品は、ステレオタイプな情報に流されやすい日本人に多くの発見や驚きを与えてくれる。
「イミグレーション・ミュージアム・東京」を主宰する岩井成昭に、設立の経緯やこれまでの活動、最新プロジェクトである写真展『銭湯哀歌(エレジー)、人情屋台、消えゆく昭和~ケント・ダールが歩いた千住~』について、なかなか日常では得られない情報をふんだんに交えて話してもらった。
インドの方と「今日、何食べた?」という話になったら、僕らは「カレーを食べた」っていう答えを期待しますよね。
―まずイミグレーションミュージアムとはどういったものなのでしょう?
岩井:移民がどのような目的でやってきて、どういうふうに暮らして、どのような未来を描いているのか、そして移民たちが持っている文化背景をどうやって地域に活かせるかといったことを見せていく施設です。特に欧州や、アメリカ、オーストラリアなど、移民を受け入れて国家を構成していたり、多文化共生を標榜する国や地域にはこういった施設が見られます。
―岩井さんはイミグレーションミュージアムをなぜ日本で作ろうと思われたんですか?
岩井:日本にも外国人たちが確実に定着し始めていて、すでに集住している地域もあるのに、日本人が彼らと交流を持つときには、どうしても「日本語は難しいでしょ、教えてあげますよ」「日本には素晴らしい文化があるから教えてあげますよ」という少し上から目線な気がしませんか?
それも大切な交流に違いありませんが、一方で彼らが日本の社会でどんな工夫をして暮らしているのか見ていくと、僕らの生活にもヒントになることがたくさんあります。だから、在留外国人の文化背景を紹介し、在留外国人同士も交流できるプラットホームを作りたいと思いました。
―在留外国人の暮らしを見ていくというと、実際の活動内容はどんなものになるんでしょう?
岩井:活動の核になっているのは、コミュニケーションプロジェクトというものです。まず在留外国人たちの日本での暮らしについて、一般の人たちが持っている素朴な疑問や好奇心をディスカッションしてテーマを決め、実際に地域の外国人たちとコミュニケーションしながら、その成果を作品化していきます。
東京近郊の新興住宅地のワンルームで暮らしている外国人女性の日常を写した写真と「つぶやき」と、子どものころから暮らした自分の国を思いだす「音」をあわせた展示 / 上本竜平+カタノヴァ・カテリナ『私の〈アイ〉ランド』(2014年)
身近な海外出身の方から空耳を集めた作品。「母国語と似ている発音で意味の異なる、あるいは発音も意味も似ている日本語」にまつわるエピソードを映像化している / 岡野勇仁+佐藤友梨+宮本一行『スカイ・イアー』(2014年)
―いままではどんなテーマが出てきたんですか?
岩井:音、匂い、笑いや躾がテーマになったこともありますし、彼らの独特な街の歩き方をマッピングしていったりもしました。身近な生活のなかにある、ちょっとしたズレを見つけていこうとしています。外国の人たちとコミュニケーションを取るとき、やっぱり僕らはステレオタイプを前提として話す傾向が強い。たとえば、インドの方と「今日、何食べましたか?」という話になったら、僕らは「カレーを食べた」っていう答えを期待しますよね。
―間違いないですね。
岩井:でも実際は、「今日はコンビニ弁当だよ」って言われることもあるわけです。でもそこから話を膨らませていくと「ところでプラスチックの葉っぱが入っていたけど、なんで食えないものに金を出さなきゃいけないんだ」とか、僕らが気にもとめないことを言い始めて、なんでこんな無駄なものにお金をかけることを日本人は許すのかと、だんだん熱くなってくる。普段の生活のなかから文化のギャップが見える瞬間を大事にして、考え方の背景や、それぞれの国の価値観の違いにまで入っていくと、話が俄然面白くなります。
―岩井さんがやられているイミグレーションミュージアムは、常設の場所があるわけじゃなく、ミュージアム=博物館というよりは、団体に近い感じですね。活動していくうえでの難しさはありますか?
岩井:演劇や音楽で多文化共生にアプローチする活動は全国各地にありますが、視覚芸術でそれをやろうとしているところはほとんどないように思います。というのも、視覚芸術は特性的に参加者が全員でグルーヴを作り出すことが難しいんですよ。
コラボレーションはできるけど、制作のプロセスの中で個別作業が必要になることが多いので。その一方で、作品の鑑賞者はさまざまな解釈で作品を受け取ることができるから、多文化共生というデリケートなテーマを扱うには、適した表現方法だと思います。
―確かに演劇とかだと、答えが打ち出されている場合もありますもんね。
岩井:もちろん例外はありますけれど、参加者は一体となって盛り上がれるから楽しいんですよ。でも、仮にそれを多文化共生の理想形とするのであれば、少し短絡的かなと思います。
規範にそって生きることだけが本当に幸せなのかと思います。
―先ほど世界各国にもイミグレーションミュージアムがあると言われていましたが、世界のイミグレーションミュージアムはどういったアプローチをしているんでしょうか?
岩井:その国によって目的が違うんですよ。たとえばシンガポールでは、移民のエスニシティー別に設立されている「ヘリテージセンター」がそれに当たります。しかし、一部移民の多様性を観光資源として扱う傾向を感じました。
また、多文化共生という意味では、アムステルダムにある「アンネ・フランクの家」の最終セクションが素晴らしい展示をしていますが、これをユダヤ民族のプロパガンダだという人もいます。僕がインスパイアされたのは、メルボルンのイミグレーションミュージアムです。世界的にも先鋭的な取組みだと思いました。
―先鋭的というのは?
岩井:移民1世、2世だけでなく、リアルタイムで移民してきた人たちが、オーストラリアの社会とどう対峙しているかを、いろんな切り口で見せているんです。メディアアート的手法もテーマに適応しており考えを深めてくれるものでしたが、自らも移民である現代アーティストたちがディレクションしていたんですよね。
オーストラリアの多文化政策は、行政の補助で母語を勉強させたり、それぞれのアイデンティティーを喪失させないというケアまでしています。そういう国で作られるイミグレーションミュージアムは、自ずとフェアで深いものになっていて、そのような視点を日本の状況にいかす方法もあるのではと思いました。
―最近は移民についてのニュースを見る機会も増えたと思うんですけど、岩井さんはどうご覧になっていますか?
岩井:移民の人たちの問題は、僕らが生きる日本の社会の鏡ですよね。日本人でさえ生きにくいような社会の歪みは、彼らを経由して顕在化し、私たちの問題として返ってきます。一方で、彼らから生きていくためのヒントを学ぶところもあります。
どうやって悩みを乗り越えていくかとか行き詰まったときに、ちょっとした考え方の変換で気が楽になったり、新たな道が見つかったりするじゃないですか。彼らの話を聞いていると、考え方を変えるヒントがたくさんあります。
―ニュースなどでは悪い部分ばかりが語られがちになっていると思うんですけど、そういったヒントというのはたとえばどういったものでしょう?
岩井:外国籍住人が人口の1割近い岐阜県可児市において、可児市多文化共生センターFREVIAが進めるプロジェクトに参加しています。そこで、日系ブラジル人やフィリピンの青少年に取材をしているのですが、たとえば10代で妊娠した妊婦をどういうふうに扱うか、違いが顕著でした。日本人だったら、たいていの場合は親が責めるんですね。最悪の場合は堕胎させる選択肢さえある。その後は一生懸命勉強して、希望の企業に就職して経済的には安定したとする。だけど、心のなかにはずっとその傷が残りますよね。
一方で、15~16歳でブラジル人の女の子が妊娠した話を中学の先生から聞いたんですけど、その子が「どうしたらいいのかわからない」と相談に来て、「まずはご両親に相談してから決めましょう」と言ったら、翌日満面の笑みで戻ってきたそうなんです。
―何があったんでしょう?
岩井:その子の両親は「神からの素晴らしい授かりものをもらって、なんて素敵な子なんだ」と褒めてくれたって言うんですよ。それで彼女は子供を産んで、学校をやめてしまう。将来の選択肢はある程度なくなって、派遣の工場労働者になるしかないですが、一方では家族全体が協力して子育てをしながら楽しく暮らしていく。さて、どっちが幸せなのか? ということを考えると、本当にわからないですよね。
―幸せに対する基準も違うわけですね。
岩井:いまは教育制度が機能することで選択肢が増えて、自分の将来を自分で決められることが幸せだと僕らは教わっています。でも、果たして本当にそうなのか。たったひとつの過ちを取り返しのつかない結果に追い込んでいくのは一体どっちなんだろうって、すごく考えさせられますね。
慣習やルールに則って生活している日本人からは、外国人は何事にもゆるくて、自由すぎると思われるかもしれない。でも、きっちり生きていくことだけが本当に幸せなのかと思うんです。そう考えると、在留外国人たちが増えている地区では、なんらかの影響を日本人も受けて、少しずつ考え方も変わっているんじゃないかと思います。
―可児市に住む日本人が、ブラジル人寄りの思考を持つように?
岩井:これは個人的な印象ですが、ブラジル人の子どもたちは、授業中に冗談を言ったり茶々を入れたりして、授業を撹乱することもある。ただ、仲間内だけで結託しているのではなく、みんなに問いかけてクラス全員を巻き込もうとしているケースが多い。それがうまい方向にいけば、クラスの連帯感を作り出すことにも利用できそうです。何年も経ってきたら、影響が出てくるのではないでしょうか。
―たとえば日本にいるフィリピン人と聞くと、どうしても水商売のイメージを持たれがちだと思うんですけど、岩井さんのようにたくさんの在留外国人を見ていると全然違うイメージになるものなんですか?
岩井:イメージは多様です。たとえば可児市にいるフィリピン人の多くは、フィリピンで派遣のエージェントと契約して、工場で働くことを前提に日本に来る場合が多い。これは1990年の入管法改変以降増加している現象で、日系の人々が国内で就労しやすくなったからです。
また、日本とフィリピンとの歴史的、経済的な交流の中で必ずしも正式な婚姻を経ずに混血した子孫も日系人として来日していて、その背景も極めて複雑です。
―我々が抱くイメージとはまったく違う背景もあるということですね。
岩井:そうですね。あと、フィリピンは僕らが考えるよりも階級社会で、フィリピン人同士では、それを意識することもあるらしいです。僕らはそういう問題を知る由もないので、彼らは全員が陽気で楽しく生きている人たちだというステレオタイプを作りがちだけど、そもそもフィリピンには言語もたくさんあるし、数多い島それぞれが異なる文化を持つ複雑な国なんですね。
―そういうこともイミグレーションミュージアムで知ることができるといいですよね。
岩井:そうでありたいと思います。アートでできることは、移民政策に対する問題提起や答えを用意することだけではなく、「現状はこうだけど、どう考えましょうか」という入り口を開くことです。まずは関心を持ってもらうことが大事ですね。
街にコンビニや自動販売機が氾濫したりする残念さを、僕らも頭ではわかっているけど、どうしても便利なほうへ走ってしまう。
―10月1日からは、ケント・ダールさんの写真展『銭湯哀歌、人情屋台、消えゆく昭和』が始まっていますが、どんな内容になっているんでしょう?
岩井:ケント・ダールさんはデンマーク人のジャーナリストで、1986年から千住に移住して、千住の街を30年間撮ってきました。今回はその膨大なフィルムのなかから選んだ写真を展示しますが、彼が30年前に興味を持ってカメラを向けた被写体が、いま僕らが街歩きをして面白いと感じるものと符合するんですよね。
―符合するというのは?
岩井:外国人は特別な見方をするはずだと思いがちですが、全く違った文化圏で培われた文脈をベースに生まれた興味の対象と、いま私たちが面白いと思うものがオーバーラップするんです。
過去、現在、未来という時間的な距離と、空間的な距離は、同次元では扱えないものですが、概念的には近いものがあるなと思っていて。それは海外の人も日本人もみんなが同じ方向を向いているということじゃなくて、様々なバックグラウンドを超えてつながる回路が形成されつつあるということです。
IMM『銭湯哀歌(エレジー)、人情屋台、消えゆく昭和 ~ケント・ダールが歩いた千住~』
―ケントさんは、千住のどういうところに興味を持たれたんでしょう?
岩井:彼は今回の展示のタイトルどおり、銭湯や屋台というものに執着しているんですよね。展示作品を選ぶためにフィルムを覗いていたら、どのように千住の街という被写体に関心を持ってそこに入り込んでいったかわかって、面白いのです。
―たとえばどんな感じなんでしょう?
岩井:2階から下の道に屋台が通るのが見えたと。そうすると、最初に屋台の屋根を撮って、急いで階段を降りて、屋台を追いかける。そして店主とお客さんのやり取りを撮って、最終的には自分も商品を買ってお客として店主を撮る、みたいな興味の推移や撮影の流れがフィルムから見えるんです(笑)。
IMM『銭湯哀歌(エレジー)、人情屋台、消えゆく昭和 ~ケント・ダールが歩いた千住~』
―写真1枚を撮るまでの心の動きまで見えると面白いですね。
岩井:点数は限られますが、彼の視点の面白さは見えると思います。もともと彼はジャーナリストで、日本の街の人たちの姿を不定期にヨーロッパの媒体に載せていたので、店主がカメラ目線で商品を持っているとか、グラビアに載るような構図の写真も多かった。でも今回は、街歩きをする一市民として撮影した、できるだけ自然な写真をピックアップしました。
―一市民としてのケントさんの目を通すことで、どんなものが見えてきますか?
岩井:おそらく彼の気持ちをいちばん惹きつけたのは、街の人たちとのコミュニケーションそのものだったと思います。彼はこの30年で、千住に個人商店や銭湯などコミュニケーションできるスペースが激減したことをとても残念がっていて。僕らもそういう残念さを感覚では理解しているけれど、効率や便利さを優先してしまう。
ケントさんの写真を見ると、個人商店の個性的な面白さとか、そういう風景をすごく丁寧に切り取っているし、ただの通行人の写真でも、そこになんらかのコミュニケーションの介在が表明されています。ただの街のスナップ写真とは、違うものを感じてもらえるはずです。
―街の変化を知るだけでも面白そうですね。
岩井:そうですね。在留外国人の方と通ずる部分を見ることに加えて、地元の人であれば、この微妙な変化を楽しんでいただけると思います。会場である「仲町の家」が、とても味のある古民家で、このロケーションを使って地元の30年間の推移を見せられることが、何よりも素晴らしい調和を生み出しているので、ぜひ足を運んでいただければと思いますね。
- イベント情報
-
- 『銭湯哀歌、人情屋台、消えゆく昭和 ~ケント・ダールが歩いた千住~』
-
2016年10月3日(月)、10月8日(土)~10月10日(月・祝)、10月15日(土)~10月17日(月)
会場:東京都 北千住 仲町の家
時間:10:00~17:00
料金:無料
- プロフィール
-
- 岩井成昭 (いわい しげあき)
-
美術家。イミグレーション・ミュージアム・東京主宰。1990年より国内および欧州、豪州、東南アジアの特定コミュニティの調査をもとに、映像、音響、テキストなどを複合的に使用した視覚表現を展開。近年はあらゆる世代を対象にしたワークショップや、多文化研究活動を並行して実施中。秋田公立美術大学教授、東京藝術大学非常勤講師。
- フィードバック 4
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-