膨大な数のシャボン玉が舞う空間で、老若男女、国籍も生活スタイルも異なる多様な人々が、無心になってはしゃぎ回る。そんな驚きの光景が東京の下町・足立区の街中に現れたのは、2012年のこと。「音」がテーマのアートプロジェクト『アートアクセスあだち 音まち千住の縁』と共に生まれたその光景は、空間にシンプルかつ大胆な仕掛けを施し、観客の記憶を深く揺さぶる作品を制作してきたアーティスト・大巻伸嗣の作品『Memorial Rebirth』によるものだ。
2015年10月のイベントでは、昼夜あわせてなんと約5千人もの人々が集まり、大量のシャボン玉と戯れる姿が繰り広げられたが、現れては消え、かたちとしては残らないシャボン玉が、これほど大きなインパクトを地域にもたらすことになったのはなぜなのか。その裏側にある、記憶や街に対する大巻の関心とはどのようなものなのか。1月末には足立区にある築50年の建物を使った新作『くろい家』の発表も予定しているという大巻の話を訊きに、勤務先である東京藝術大学を訪れた。
ラーメン屋などで「アートやってます」と言ったら、「えらいねえ! チャーシューつけといたよ」と返される世界ですから(笑)。
―2012年にはじまった『Memorial Rebirth 千住』ですが、回を重ねるごとに参加者が大きく増えていて驚かされます。しかも、訪れる人たちはじつに多様な層にまたがっていますね。
大巻:アートのファンだけでなく、子どもからおじいちゃんまで、あらゆる人に家族ぐるみで参加してもらえているので嬉しいですね。「足立区を世界のアートプロジェクトの基準にする」という意気込みでやっていますから。たとえば、飲み屋で昼間から飲んでいるおじさんが「アートって……」などと語っている。そんな光景が生まれたら面白いでしょ? そんな街があったら世界中の人々が足立区に集まってくると思うし、地元の人たちにはどんどんこのイベントの「共犯者」になってもらいたいと思っているんです。
『Memorial Rebirth 千住 2015 足立市場』2015年10月
―大巻さんが感じる、足立区の特徴とはなんですか?
大巻:「良い加減」なところです。面白いと感じればパッと寄ってきて意見を言ってくれるし、つまらないと感じれば「わからない」と気兼ねなく言ってくれる。そうした住民性の背景には、もともと多種多様な人々が混ざり合って生活しているという、土地的な条件があるんじゃないでしょうか。たとえば北千住は、電車だけでも、JR常磐線に東京メトロ日比谷線、千代田線、東武スカイツリーライン、つくばエクスプレスと、5つもの路線が乗り入れるハブ的な場所になっています。また、人種的にもいろんなルーツを持つ人がいるし(2009年の足立区の国際結婚の比率は7.7%で、全国平均4.9%を上回っている)、戦前から住む住民も、新しくやって来た学生のような人たちもたくさんいる。
―参加者の層の厚さは、そもそも足立区にあったものだ、と。
大巻:そうした地域の姿をあらためて再発見する、このパフォーマンスの目的はそこにあります。「街おこし」というと、古い建物を作り変えるというような、再開発的な発想になりがちですよね。しかし重要なのは「再開発」ではなく「再発見」で、いくら街が新しくなっても、人が変わらなければ本当の街の再生はない。参加して、周囲の住民と顔を突き合わせることで、日常とは異なる視点から街を見られるようになることが大事なんです。
―とはいえ、いきなり「現代アート」を街中にぶち込むわけで、2012年の立ち上げ時は大変だったんじゃないですか?
大巻:最初は10人くらい来るかどうか、といった状況でした。街の人々にも「どうせ一過性のイベントだろう」という気持ちがあって、みんな信じていなかったんですね。でも考えてみれば、上野の街も戦後の焼け野原に立つ闇市からはじまったわけで、それが現在の活気溢れる姿になるなんて、当時は誰も信じていなかったと思うんです。そもそも足立区は、アートをやる人間にとってはアウェイなんですよ。ラーメン屋のおばちゃんに「アートやってます」と言ったら、「えらいねえ! チャーシューつけといたよ」と返される世界ですから(笑)。
―因果関係がよくわからないですね(笑)。
大巻:だから、未知のものとしての「アート」ではなく、「新しい祭をやる」と説明したんです。「祭」ならみんな知っているから、想像がしやすい。「祭ってのはこういうもんだ」と、意見を言ってくれるようになるんです。そこで「いや、今回はシャボン玉をたくさん作る祭でね」と返す。すると、「それは綺麗だろうね」と集まってくれる。結果的にはそこに、想像以上の光景が広がるわけです。知っているものからはじめて、知らないものへと至ることが重要なんです。
―結果的に同じことをやっていても、そこに至るまでの過程が重要なんですね。それは、いま求められる想像力のあり方かもしれません。
大巻:初回は北千住の「千住いろは通り商店街」という場所でやったのですが、そのときに良かったのは、雨が降ったこと。このイベントには「困難」を乗り越える経験が必要だと思っていたんです。誰もが中止と考えた天候のなかでイベントを決行したら、大変な思いをしながらもみんなでやり切ってくれた。大量のシャボン玉が上がる姿を見て、いろんなところから集まったお客さんたちが傘を上げて喜んでくれたんです。そこでイベントに関わった人たちが、なにかアクションを起こすと反応が返ってくることの可能性を信じられたのが、大きかったと思います。
人が生きることが音を出すことなら、シャボン玉に対して上がる歓声や驚きの声だって、音を「再生」することになりますからね。
―そもそも、音をテーマにした『音まち千住の縁』というアートプロジェクトで、音とは無縁のシャボン玉を使ったパフォーマンスをはじめたのはなぜだったんですか?
大巻:究極的に言うと、音はなくたっていいんです(笑)。
―え?
大巻:ハハハ。いや、人が生きることが音を出すことでもあるなら、そこにいわゆる「音楽」を持ってこなくてもいいということです。シャボン玉に対して上がる歓声や驚きの声だって、音を「再生」することになりますからね。実際、子どもが「ワー!」と叫びながら走り回るのを見て、「あんなにはしゃいでいる姿を久しぶりに見た」という親御さんがたくさんいます。いまは共働きの家庭も多く、子どもと大人の時間が断絶してしまっている。あるいは老人が子どもたちと一緒に住むことも、ご近所として関わる機会も減っている。日常にある複数の時間を結ぶ方法を、作品制作ではいつも考えているんです。
『Memorial Rebirth 千住いろは通り』2012年
―大巻さんは一時期アトリエも足立区に構えていたそうですね。
大巻:2007年から2011年まで、日ノ出町というところにいました。震災で建物が使えなくなってしまったので、いまは勤務先の東京藝術大学と、三浦半島のアトリエを使っています。ちなみに2007年以前は、台東区の新御徒町で制作をしていました。ネジ屋のおじさんに厚意で部屋を貸してもらえたのですが、夜になると街から人がいなくなるんですよ。人臭さがなくなって、ぼくの作業の音と明かりだけがポツンとある感じで。人の生活する時間というものにすごく自覚的になりましたね。それで、人がいる街を探したいな、と。
―「人がいる街」という表現が面白いですね。どの街にも人はいるのに。
大巻:うん、社会的な仮の姿で働いて帰る街じゃなくて、人が買い物をしたり交流をしたりする、その営みを見られる街ということですね。足立区はまさにそんな場所だったんです。また当時は、街中に作品を投入することへ興味が生まれた時期でもありました。
大量のシャボン玉に対して、参加者たちが「いまなにがあったんだ?」と話し合っている姿がいい。
―なるほど。そこに至る経緯をお訊きしたいのですが、大巻さんが彫刻科の出身で准教授だと聞くと、驚く人も多いように思います。シャボン玉のように、かたちに残らないものを使っているわけですから。大学時代は、造形物としての彫刻も作っていたんですか?
大巻:彫刻的なものから抜け出そうという志向はありましたね。東京藝術大学のようなアカデミックな機関にいると、系譜や素材がとても重視されるんです。西洋ならロダンにはじまる系譜があり、東洋なら仏像の系譜がある。素材としては、木、鉄、石、焼き物、粘土、あとは近年加わったプラスチックなど。ぼくは最初からいろんな素材を組み合わせて作っていたので、先生から「木をきちんと削っていない」とか、「これって本当に彫刻なの?」とか、いろいろ言われるわけです。でも自分としては、造形物を作るだけじゃなく、ものがあることによって周囲の空間が作られたり、空気が作られたりすること、ものによる人の記憶や空間への作用に関心があったんです。
―初期の代表作『ECHO』シリーズは、岩絵具で床や壁に花柄を描き、それを観客が踏んで壊しながら空間を作り上げていく作品でしたが、そうした関心から作られたんですか?
大巻:『ECHO』は自分の家族の歴史を、もう一度、いま立っている時間や空間のなかに作り直せないか、と考えて作った作品です。実家は岐阜の問屋街にある紳士服店なんですが、昔は問屋街自体に活気がありました。でもその後、他のアジアの国々に生産拠点が移るなかで、問屋街に活気がなくなっていってしまった。それで大学に入学したころ親父と将来の話をし、「家を継ぐことではなく、アーティストの道に進みたい」と言ったんです。そういう経緯があって大学卒業後の2002年、これまでの自分の歴史を見つめ直し、そのメタファーとして、服の和柄モチーフを床一面に描き込み、上を歩こうと思い立った。ぼくとしては一種の踏み絵で、戒めのつもりだったんですが、そこで自分の歴史にひとつ決着がついたんです。
―パーソナルなところを出発点にした作品だったんですね。
大巻:それで3年後に、資生堂ギャラリーで展覧会をやったとき、作品のタイトルを『Echoes-Infinity』に変えました。その「Infinity」は、実家の「Infinite」という店名から来ているんです。その後、店を父の代で閉めることになっていたので、なんとか自分の作品を通して、これまでの家族の歴史を残したいな、と思ったわけですね。
『Echoes -Infinity』資生堂ギャラリー、2005年
『Liminal Air Space-Time』森美術館、2015年
―記憶への関心にも関係しますが、大巻さんの作品の特徴のひとつに「儚さ」がありますよね。森美術館での『シンプルなかたち展:美はどこからくるのか』(2015年)に出品された、東京の街を見渡す窓の前で布が幕のように上下する『Liminal Air Space-Time』も、そんな作品でした。
大巻:作品が嫌がること、「壊れる」とか「落ちる」とかをあえてやることで、より本質的な問題が浮き彫りになると考えているんです。『ECHO』の「踏む」にしても、高価な岩絵具を使っているわけで、普通は嫌がることです。でも、踏んでいいか悪いかを考えるなかに起こる、心の葛藤が面白い。大量のシャボン玉も、消えたものをめぐって、参加者たちが「いまなにがあったんだ?」と話し合っている姿がいい。かたちには残らないけれど、崇高なものを経験したと感じる。そうした経験こそが重要だと思うんです。
言葉では説明できないジレンマを起こすことが、アートの役割だと思うんです。
―大巻さんは彫刻家ではあるけれど、ものを見て安心することができない状況をあえて作るわけですね。
大巻:美術館の作品の横には、キャプションがありますよね。人はそれをその通りに読み、「素晴らしい」と思う。でも、アートがその種のサービスになったとき、「心の葛藤」は一瞬にしてなくなってしまうんです。一方、ぼくがやりたいのは、むしろ言葉では説明できないというジレンマを起こすことです。シャボン玉はモノとしてはすぐに消えて、その場の人々しか体験できないけれど、それは「伝承」として残っていきます。いまを生きている実感を持たせることが、アートの役割だと思うんです。
―キャプションを読み込むことより、よほど複雑な経験がそこにはある、と。『Memorial Rebirth』は他の地域や国でも実施されていますが、東京以外の場所で行うときにはどういった意識でやられているのでしょうか?
大巻:それぞれの地域の人が持つ物語を、よその場所から来た観客にいかに紹介できるか、一緒に探るつもりでやっています。たとえば、オーストラリアの先住民アボリジニとやったときは、かつてソングライン(アボリジニが歌などによって伝承してきたルート)だった場所を使いました。いまは再開発されて美術館になっている場所ですが、アボリジニたちの伝承には、その土地で自然とともに生きる知恵がこめられている。それをシャボン玉のパフォーマンスに合わせ、マイクパフォーマンスで語ってもらいました。
『THE 6th Asia–Pacific Triennial of Contemporary Art』オーストラリア、2009-2010年
―その2つを組み合わせたのは?
大巻:大量のシャボン玉の光景を印象付けることで、「アボリジニの人はどんな話をしていたっけ?」と思い出し、伝承する契機にしてもらいたいからです。アボリジニの人たちは、長年そこに住むなかで、その土地の風土との関わりを伝承として次世代につないできた。だからこそ、いまがあるんです。それがとても大事なことなんです。
―やはりそこでも、「再発見」が重要なテーマなんですね。
大巻:日本だと、岐阜の地元の商店街でも行いました。ここも再開発で町が一新される予定だったので、「アートどころじゃない」と最初は反対されていたんです。でも、終戦後に町がどう再生したかを思い返す機会でもあるし、断絶していく関係を結び直す機会でもあると説得した。結果的にはみんなで商店街の屋根の上に登り、「お前の店はこうだった」と語り合うことができました。現在の店主の方々の祖父の代から町の歴史ははじまったわけですが、商店街って道に面した部分は綺麗に改装されていても、屋根の上は変わらないんですね。その玄孫くらいまでの世代が集まり、場所の記憶を再認識できたんです。アートは社会に作用できると実感しました。
―学生時代に先生から言われていた彫刻観とは、かなり遠くに来ましたね。
大巻:もちろんいわゆる「彫刻」にも、たとえば仏像が人の意識を変容させたように、社会に作用する部分はあります。でも、直接性があるかといえばそうではない。足立区にアトリエを構えていたころの話に戻ると、当時は美術館のような空間を超え、作品をじかに街中の人々にぶつけたいと考えていました。そもそも『Memorial Rebirth』は、そうした関心を持って参加した2008年の『横浜トリエンナーレ』で生まれたパフォーマンスです。ぼくはそのとき、指定された公園だけでなく、中華街にも出て行こうとしたんですね。それで、商店の人たちに迷惑がかからないよう、すぐ消えるシャボン玉を撒き散らしながら歩くパフォーマンスを考えた。それがはじまりだったんです。
『Memorial Rebirth -Yokohama Triennale 2008-』2008年
―街の風景に溶け込んでもダメだし、軋轢を生んでもダメという意識があったんですね。「知っていることからはじめて、知らないことに至る」という先の話にも通じます。
大巻:そうした観点は、社会との接点を持とうとしなければ生まれないものでしょう。でも、そうやってはじめたプロジェクトが、いまは足立区の住民たちが積極的に関わるものになっている。最初は「どのくらい持つのだろう?」という疑問もありましたが、5年間にもわたって続いているのはすごいと思います。やっぱり、地元の人がどれだけ本気になれるかが重要ですね。いま『Memorial Rebirth 千住』を設置する際の図面は、普段マグロを売っている足立市場の人が描いているんです。こんな地域、なかなかないですよ(笑)。
―1月末には、足立区の築約50年の建築物を使った『くろい家』というプロジェクトもはじまるそうですが、こちらはどういった作品になるのでしょうか?
大巻:2012年に『音まち千住の縁』に出品した、空き家を使った作品『イドラ』の新バージョンになる予定です。『イドラ』は、その建物に住んでいた人の記憶を、漆で作られたオブジェを通して感じさせる作品でした。ただ、今回の『くろい家』で使う建物は、増改築を繰り返していたり、鉄工所、お好み焼き屋、釣堀と頻繁に業種が変わっていたりすることもあって、記憶の痕跡を探すのが困難だったんです。最近になってようやく、そうした痕跡を見つけることができたので、それを使って、まるで建物の時間が止まったかのような空間を表現したいと思っていますね。
―『Memorial Rebirth』に集まる老若男女にも楽しめる作品ですか?
大巻:もちろん。建物の記憶が変わらずにそこにあることと、シャボン玉の光景が人の心に残ることとは、とても関係があります。元住民の記憶を、どうやって訪れた人々に感じさせるのか。家自体を大改造する予定なので、ぜひ楽しみにしていただきたいです。
- イベント情報
-
- 大巻伸嗣『くろい家
-
2016年1月30日(土)~3月13日(日)(土、日、月曜、祝日のみ開催)
時間:10:00~17:00
会場:東京都 足立区 くろい家
料金:無料
-
- 『アートアクセスあだち 音まち千住の縁』冬のプログラム
-
『千住フライングオーケストラ「研究発表会」』
2016年1月16日(土)13:00~15:00
会場:東京都 足立区 虹の広場、安養院
料金:無料イミグレーション・ミュージアム・東京
トークシリーズ「多文化共生について考える」芸術編 第2回
ドキュメンタリー映画『ハーフ』上映会&トークイベント
2016年1月23日(土)14:00~17:00(13:30より受付開始)
会場:東京都 足立区 帝京科学大学 千住キャンパス 3号館 B1F講堂
料金:一般1,000円 学生500円
※小学生以下無料久保ガエタン『記憶の遠近法』
2016年1月23日(土)~3月13日(日)(土、日、月曜、祝日のみ開催)
会場:東京都 足立区 たこテラス
時間:10:00~19:00
料金:無料千住ミュージックホール 第9回
ホワイトスタジオ『シカクトライアングル』-Visual Triangle
2016年1月31日(日)OPEN 17:00 / START 18:00
会場:東京都 足立区 ホワイトスタジオ
料金:一般1,000円 学生 500円
※小学生以下無料野村誠 千住だじゃれ音楽祭
国際交流企画第3弾:タイ調査篇 レクチャー&コンサート
『熱タイ音楽隊の一週間』
2016年2月21日(日)OPEN 14:30 / START 15:00
会場:東京都 足立区 東京藝術大学 千住キャンパス スタジオA
料金:無料
- プロフィール
-
- 大巻伸嗣 (おおまき しんじ)
-
1971年岐阜県生まれ。東京藝術大学美術学部彫刻科准教授。『アジアパシフィックトリエンナーレ』や『横浜トリエンナーレ2008』、エルメス セーヴル店(パリ)、『アジアンアートビエンナーレ』など世界中の芸術祭や美術館・ギャラリーでの展覧会に参加している。展示空間を非日常的な世界に生まれ変わらせ、鑑賞者の身体的な感覚を呼び覚ます、ダイナミックな作品『Liminal Air』『Memorial Rebirth』『ECHO』を発表している。
- フィードバック 2
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-