今秋、3年ぶりとなる3rdフルアルバムのリリースをアナウンスしている、ROTH BART BARON。彼らが新たなプロジェクト「P A L A C E (β)」を始動し、それに向けてのクラウドファンディングを開始した。三船雅也は、「P A L A C E (β)」を「新しいアイデアを出し合いこの世界の疑問に立ち向かい、僕らの思いついた小さなアイデアをちゃんと生かして少しずつ世界を変えてゆくための学校のような場所」と説明するが、「バンドとリスナー」の関係を再定義することで生まれる「対話」の存在に可能性を見出しているのだろう。
そしてもうひとり、今、「対話」の重要性を感じさせる活動を行う人物がいる。元『WIRED』日本版の編集長、若林恵だ。テクノロジーを基盤に、常に人文学的な視点を持ち続け、現在は「二項対立」ではなく「三者対話」を標榜したイベント『trialog』も主宰する若林の目に、ROTH BART BARONの活動はどのように映るだろう? CINRA.NETでは、三船と若林の対談を実施。約2時間にわたった両者の対話は、この時代において、とても重要な問題提起を含むものとなった。
どういう形でなら自分たちの音楽を海外に売り込むことができるのか?……それを考えているのが、この3年でした。(三船)
若林:ROTH BART BARON(以下、ロット)は、「面白いバンドがいるな」と思って、何度かライブも観たし、ロンドンで録った去年のEP(『dying for』)も聴きました。嫌いじゃないんです。とはいえ、こちらももう大概おっさんなんで、ある世代から下の人たちがどうやってバンドをはじめるのか、その辺のことがもはやあまりわかってないんですよね。なので、その辺りからお伺いできるといいんですが、三船さんは、どんな感じでバンドをはじめられたんですか?
三船:僕の個人的な体験を言うと、高校を1年でドロップアウトして、やることがなくて引きこもりみたいなことをしばらくやっていたんです。で、引きこもるのも飽きたなって思って、地元のTSUTAYAで端から端までのDVDとCDを借りまくるっていうことをやりはじめて。僕、もともとは映画の勉強をしたかったんです。
ROTH BART BARON“dying for”を聴く(Apple Musicはこちら)
三船:当時、毎週メンタルクリニックに通っていたんですけど、そこで仲よくなったおじいちゃんが、昔、東宝でスチールカメラマンをやっていた人で。「俺、ゴジラやりたいんです」なんて喋っていたら、そのおじいちゃんが「うちの若いのが映画撮ってるんだけど、お前、手伝うか?」って言ってくれたんです。当時、樋口(真嗣)さんが『ローレライ』(2005年)っていう映画を撮っていたんですけど、それがきっかけで撮影現場に入れてもらって。
若林:へぇ~、面白い。
三船:そのとき、特撮監督やりたいって東宝の人に話したら、「特撮はもうないね。いまはCGだからね」って言われて、「映画はダメかもしれない! 未来を考えなきゃ!」と思いました(笑)。結局それでも、映画を諦め切れずに映画系の大学に入って、それと同時にラップトップで音楽も作りはじめたんです。そうしたら、中学の同級生だった中原(鉄也)がドラムをやっていると知って、それで20歳くらいからバンドをはじめました。
ROTH BART BARON / 三船がバンド結成に至るまでを語った記事はこちら(記事を読む)
若林:そのときに音楽的なモチーフとなっていたのは、どういうものなの?
三船:当時、自分が一番反応したのは、戦前のアコースティックなブルーズや民謡歌でした。そしたら、ちょうど2000年代の終わり頃、Bon IverやFleet Foxesのような、自分と同じ古いフォーク音楽を聴いている人たちがアメリカからも出てきたんですよね。しかも、ちゃんと現代版にアップデートされた音楽をやっていて。
さらに、The Nationalのメンバーがプロデュースした『Dark Was the Night』(2009年)っていうコンピレーションが出たんですけど、それはあのときアメリカで起こっていたことがマッピングされた作品で。それに出会ったときに、「アメリカではなにかが起こっている。これは宝の山だぞ!」って思ったんです。
Dirty ProjectorsやBon Iver、Feistらが参加している『Dark Was the Night』を聴く(Apple Musicはこちら)
三船:そういう音楽にときめいちゃったから、日本のライブハウスの人たちとは話が合わなくなるんですよね。「武道館でやりたいっすね!」とか言われても、「う~ん、自分のやりたいことと違うなぁ」と(笑)。
若林:なるほど。そこから、バンドとして目指すべきゴールが具体的に見えてきた部分もあるわけですか? たとえば『コーチェラ』(アメリカの野外フェス『Coachella Valley Music and Arts Festival』)に出たい、とか。
三船:もちろん、『コーチェラ』のような憧れの舞台に立ちたい気持ちはあります。ただ、日本のバンドで海外進出が成功した例って、少年ナイフのような女性バンドか、髪の長い人たちがやるオリエンタルなサイケデリックバンドかが大半じゃないですか。「海外の人が求める日本人像」にハマらないと輸出できなかった歴史がある。僕らはそうじゃない方向で音楽をやって、海外の人たちとコミュニケーションをとりたいなって思うんですよね。
三船:日本って、ゲームやアプリの分野ではできているのに、音楽に関しては海外に売り込むのが苦手じゃないですか。じゃあ、どういう形でなら自分たちは海外に売り込むことができるのか?……それを考えているのが、この3年くらいでした。
海外は小手先が通用しないんですよ。その一瞬、そこで鳴らされる1音がよくなかったら、お客さんは帰っちゃう。(三船)
若林:なんで日本のバンドの海外進出は難しいんだと思います?
三船:う~ん……ファッションとして外国の音楽を消費して、それを纏うことがクールだっていう風潮が少なからずあるからじゃないですかね。でも、纏ってカッコつけているだけでは、いくら海外に行っても勝負できないのは当然で。あと、最近は日本の外に興味がない人たちが多い気もします。最近の20代では、ポンッと海外に行っちゃう子もいるけど、閉じている人はすごく閉じているなって思う。
若林:若い子に「もっと海外行けばいいじゃん」って話すことあるんですけど、みんな意外と慎重という印象があるんですよね。「海外に行くことで、自分が今やっていることを変えたくない」ってなことを言われたりして。それは確かにそうだよね、と思うんだけど、さらに成長するためには今までやってきたことが壊されるようなことも大事なのかもしれない、とも思うんです。余計なお世話ですけど(笑)。そういう意味で、この3年間を通じて、三船さんはどんな手応えを感じていますか?
三船:やっぱり、体験に勝ることはないですね。向こうは小手先が通用しない世界なんですよ。その一瞬、そこで鳴らされる1音がよくなかったら、お客さんは帰っちゃう。
三船:日本だと、「よ~お、パンっ(と一本締めのように手を叩く)」で合うけど、海外に行けば、1つのライブハウスにジューイッシュ(ユダヤ人)も、黒人も、イスラムもいるから、そんな場所では絶対に同じようにいかない。そういう場所だからこそ、最初の1音をどうするのか? というのは、すごく考えるんです。日本だと、よくも悪くも甘えちゃう。みんな、わかってくれちゃうんですよ。
若林:そうなんだよねぇ。
三船:だから日本に帰ってくると、すごく居心地はいいんですけど、「このままじゃヤバい」って危機感も感じるんです。自分がじわじわと蝕まれているような……剃刀の上に座っている気持ちになってくる。日本の重力に引っ張られそうになりながら、それを自分で切り離して、また戻って……そんなことを常に繰り返してきたのが、この3年間だったような気はします。
ファンを全面的に信用しちゃいけない、というのもあるように思う。(若林)
若林:さっき三船さんが言った「わかってくれちゃう」人たち……それを「ファン」と呼ぶのなら、ファンってのはもちろんとてもありがたい存在には違いないんでしょうけど、なんていうのか、その人たちを全面的に信用しちゃいけない、というものでもあるように思うんですよね。そういうファンのためにやることが増えていくと、成長が阻害されていく、という面もあると思うんですよね。
若林:自分もメディアを作ったり、本を出したりするなかで、「若林さんのファンです」って言ってくれるありがたい人もときたま出てくるんですけど、それはそれでありがたいにしても、「世の中には、もっといろんなものがあるからな」って思っちゃうんですよね。「自分を会員にするようなクラブのメンバーにはなりたくない」っていう名言があるんですけど、自分としては、自分が作ったり、書いたりしたモノなんかより、はるかにいいものは世の中にはいくらでもあるので、そっちのほうがいいぞ、って思っちゃうんですよね。少なくとも自分はそう思ってるので。
いま、三船さんたちが動かそうとしている「P A L A C E」も、もしかしたら、こういう感覚と関係あるのかなって思ったりもするんですが、どうですか?(筆者註:「P A L A C E」は、7月1日からロットが立ち上げているオンラインコミュニティー(Facebookでの非公開グループ)。現状、ベータ版がローンチされており、クラウドファンディングに参加した人が招待される仕組みになっている(投資額が0円でも可能)。コメントでも、いわゆる「ファンクラブ」とは意識的に差別化している旨が書かれている)
三船:「P A L A C E」に関して遡って説明すると、去年~一昨年くらいに、「Brexitはありか? なしか?」「トランプ大統領はイエスなのか? ノーなのか?」みたいに、人間を2種類に強制的にわけるような、対立しなくなくてもいいはずのものが急に対立させられてしまう現象が、世界中に起こりましたよね。2016~17年の、あのざわざわした感じ……そこに違和感を覚えていたんです。
三船:そういう状況のなかで、「人の繋がり」ってなんだ? って考えはじめたんですよね。「人の繋がり」っていう見えない現象、その意味を問われているような気がして。
若林:ふむ。
三船:そこから、バンドって音楽をやっているだけでいいのか? とか、CDを作って、2週間だけレコード屋さんで展開されて、それが終われば棚に入れられる、そのためだけに音楽を作っていていいのか? とか……そういうことを考えるようになったんですよね。
考えれば考えるほど、「そうは言っても、僕らはステージに立っていないときでもバンドだしな」と思って。そこで、「P A L A C E」の話が立ちあがってきたんです。強制的に分断するわけでもなく、ぬるま湯でもなく、バンドを中心とした、いい意味でゆるく小さな「繋がり」を作れないかなって。
「P A L A C E」の詳細を見る(サイトを見る)
「P A L A C E」に参加している人たちって、「ファン」や「リスナー」っていう言葉ではしっくりこない。(三船)
若林:現状、「P A L A C E」は具体的にどういう活動をしてるんですか?
三船:直近だと、“HEX”っていう新曲のアートワークを数パターン作って、「どれがいいと思いますか?」ってアンケートをとったりしています。あと、僕に「最近、なんの本を読んでいますか?」みたいな質問が来たりもしますし、レコーディングの生放送をやったり、「今回はライブにカメラマンがいないから、iPhoneで動画を撮ってくれないか?」って参加している人たちに頼んだり……1日1回はなにかが起きている感じがします。
ROTH BART BARON“HEX”を聴く(Apple Musicはこちら)
三船:根本的に、僕の言葉をお布施のようにありがたがっている人は、「P A L A C E」にいないと思うんですよ。そういう意味で、これはファンクラブとは違う。「P A L A C E」に参加している人たちって、「ファン」や「リスナー」っていう言葉ではしっくりこないんですけど、なんて呼べばいいのか僕もまだよくわからなくて。
ここには、「一緒になにかしたい!」って思う人もいれば、僕が朝おすすめする音楽だけに反応する人もいるし、楽器の話に強く反応するだけの人もいて、参加してくれる人たちのなかにグラデーションがあるんです。そういう人たちとバンドで新しい関係性を築いていけたらいいなと。
若林:ソーシャルメディアで行う活動とは、どう違うんでしょう?
三船:クローズドであることがチームのようになっていると思うし、今はオンラインですけど、最終的にはオフラインで「体験」が手に入るものにしたいなって思っています。バンドそのものに参加している感じを提供する、というか。
実際、既に皮膚感覚で実感できていることも多々あって。最近、ライブに来るお客さんの顔つきが変わっていて、もう「お客さん」として来ている感じではないんですよね。ソーシャルを踏まえたうえでの「体験」が生まれている感覚がそこにはあって。いま、既に130人以上の人が「P A L A C E」に参加してくれているんですけど、彼らがバンドと関わることで、「超面白い!」って思えたり、自分の心がときめく瞬間、そういう体験が1日でも増えたらいいなって思うんです。
音楽は空気の振動でしかない。でも、なぜそれに、人は感動するのか……その正体を知りたいんです。(三船)
若林:「P A L A C E」のことを「学校のような場所」と形容してましたよね。
三船:スクエアな学校じゃなくて、吉田松陰的な、寺子屋的なものっていうニュアンスですね。僕、『お~い!竜馬』(原作・武田鉄矢の漫画)が好きなんですけど、寺子屋で勉強しているシーンって、生徒たちは先生のほうを向いていないんですよね。それぞれ別々の方向を向きながらいろんなことをやっていて、見出した答えを先生に提出しに行く。
そういう、もっと委ねられた要素がある学校にできればいいなと思うんです。本来の意味で「学び」とはなにか? ということを考えると、それはやっぱり、外の世界を知ることであり、内側を見ることであるじゃないですか。
若林:そうだね。
三船:ただ、僕らミュージシャンがやっていることって、結局、空気を振動させているだけなので。楽器を鳴らそうが、パソコンで鳴らそうが、声を出そうが、空気の振動でしかない。そういう意味で、すごくフィジカルなんですよ。でも、なぜそれに、人はグッときたり感動したりするのか……その正体を知りたいんですよね。
若林:これ、自分の最近の見立てなんですけどね、20世紀ってエンターテイメントの世紀だったって言われるじゃないですか。それって、そのとおりだと思うんです。特に20世紀の後半になると、家の真ん中にテレビというものが置かれて、それを中心にして、エンターテイメント消費は、経済にとっても、とても重要なものとなっていったわけですけど、そういうエンタメ消費が重大事としてあった社会においては、それを支える概念として、「余暇」というものが大事だったはずなんですね。労働に対置されるものとしての「余暇」。
この「余暇」っていうものは、「労働」っていうものの補完物としてとても重要な意味を担っていて、そこをめがけてたくさんのレジャーやエンターテイメントが開発されていったんだと思うんです。いい「余暇」を過ごすことで、いい「労働」がもたらされるという。
若林:昔は、だから会社は社員を旅行に連れていったし、社員の飲み代や、キャバクラ代だって面倒見てたわけですよね(笑)。もちろん音楽っていうものも、一種のそうした「レジャー」として産業としても大きくなっていったんだと思うんですけど、ただ、そうした社会構成自体が、20世紀後半にもなるとだいぶ変わりはじめて、労働と余暇の区分みたいなものとかが曖昧になっていくんですよね。
となってくると、なんか、映画を見たり、音楽を聴いたりすることの、意味合いも変わってきちゃうということになるような気がするんですよ。「それって、なんのためにやってるんだっけ?」みたいな(笑)。
三船:超わかります(笑)。
若林:20世紀のある時期までは、映画っていうのは確実にエンターテイメントで、それはおそらく「現実逃避のためのファンタジー」であるという意味に限りなく近かったはずなんですけど、「余暇」ってものが意味を失っていくと同時に、それを埋めていた「エンターテイメント」ということの意味合いも変わってきたんように見えるんですよ。
で、特に最近だと、もちろんエンタメはエンタメでありながら、それが極端にジャーナリスティックなものになってきてるように見えるんですよね。音楽もそうなんですけど。
若林:たとえば『ブラックパンサー』(2018年公開の映画。マーベル初の黒人ヒーロー作品で、監督のライアン・クーグラーをはじめキャストと制作スタッフの大半が黒人であったことでも知られる)に対する期待って、もはや「現実逃避のファンタジー」に対する期待ではなくて、それ自体が一種のアクティヴィズムであるようなものになってたじゃないですか。
『ワンダーウーマン』(2017年公開、監督はパティ・ジェンキンス)もそうでしたし、こないだ『アナと雪の女王』(2013年公開、監督はクリス・バック、ジェニファー・リー)を見直してたら、#MeTooの源流ってこれか、って思うくらいにポリティカルなアジェンダが含まれてるんですよね。今のハリウッドって、とにかくポリティカルで社会性の強いものになっていて、気晴らしで見るようなものじゃもうなくなってるんですよね。
『WIRED』をやっていたときに、ウェブやソーシャルメディアってやっぱり限界があるなって思ったんですよ。(若林)
若林:音楽も、たとえば『Lemonade』(2016年)から今年の『コーチェラ』でのパフォーマンスから、THE CARTERS(ビヨンセとJAY-Z夫妻によるユニット)のアルバムの投下まで続いてきたビヨンセの動きって、基本的にはメガエンターテイメントではあるんだけど、同時にポリティカルなステートメントであり、ある種のジャーナリズムなんですよ(参考記事:ビヨンセがコーチェラで魅せた「Beychella」の歴史的意義。紋章を解読)。
THE CARTERSの“Apeshit”のPVなんかも、西洋文化の頂点であるルーブル美術館をブラックカルチャーが侵犯して、西洋美術史のなかに、暴力と服従といったテーマを見出しては、それを現代のコンテクストにおいて上書きする、みたいなことやってるわけですよね。
若林:カニエ・ウェストもそうですし。といっても、彼の場合は、それを逆張りでやる感じなんですけど(笑)。つまり、音楽は、もはやエンターテイメントというよりも、非言語によるジャーナリズムみたいなものになってきているように見えるんですよ。
三船:アメリカは本当に面白いアップデートが起こりましたよね。Chance the Rapperやビヨンセのような人たちがドンッといて、それとは違った場所に、ソーシャルでも繫がれないフランク・オーシャンのような人がいる。でも、ライブではそんなフランクの曲を、みんながiPhoneで撮りながら大合唱するんですよね。その映像を見たとき、すごく感動したんです。
そう思っていたら、今度はChildish Gambinoが“This is America”(2018年)っていう強烈な曲をリリースした。でも、日本はDA PUMPの“U.S.A.”(2018年)がウケるっていう……本当に、いろんなことをよく表しているなぁって思いましたけど(苦笑)。
若林:ははははは(苦笑)。
三船:日本は、マジレスが嫌いですからね。昔は、もうちょっとマジレスしていた気がするけど、いまはみんな疲れている。でも、表では言わなくても、ネットを見れば、本気で考えている人たちがいるなってわかるんですよね。そういう部分を見ると、日本もまだ面白いなって思えるんですけど。
若林:ソーシャルの面白さはもちろんあるんだけど、マスメディアにはマスメディアの面白さも当然あって、日本だと、極端にそこがダメになっているんですよね。たとえば、Cardi Bって、ソーシャルメディアで広まったラッパーだけど、それが『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジミー・ファロン』(アメリカで放送されている深夜トーク番組)みたいなテレビ番組に出ると、彼女の名前は関係ない人たちにまで波及するじゃない?
『WIRED』をやっていたときに、ウェブやソーシャルメディアってやっぱり限界があるなって思ったんですよ。ソーシャルを使って拡散して、フォロワーを増やして、その輪がどれだけ大きくなったところで、それってどこまでいっても閉じた輪なんだ、と思わざるを得なかった。
若林:たとえば皇居の周りをぐるぐる回っている、「安倍総理に死を」とかデカく書いてあるトラックが4台連なった右翼のトラックがあるじゃないですか? あれって、本当にあの4台しか走っていないと思うんですけど、その4台を、だいたいみんなが知っているわけです。
別に、知っているからって共感するわけではないけど、でも「社会的な認知」というものがあったとしたら、あの4台のトラックは極めて大きな認知をもってるはずなんです。なので、閉じた輪のなかでフォロワー数を増やすことよりも、そういう意味での社会性を獲得していかないと「情報」って意味ないんだな、と思うようになったんです。
どれだけファンを作っても、外側に行けないのであれば意味がない。(若林)
若林:つまり情報は、「社会化」しないとダメなんです。特にメディアブランドはそうなんです。フォロワー数を増やすことよりも、単純に「WIRED」という単語の流通量がどれだけ増えるかということのほうが重要なんですよ。別に、好きになってもらわなくてもいいんですよ。「『WIRED』って感じ悪いよな」って思ったり、それをいう人を含めて、メディアブランドの社会性っていうものは成り立つんですよ。
三船:なるほど。「ROTH BART BARONってなんなんだ、あいつら!」みたいな(笑)。
若林:そうそう、「あいつらがテレビに出ていると消しちゃうね」みたいな(笑)。そういう人たちが増えるだけ、ROTH BART BARONっていう名前が、ある特定のニュアンスをもった「記号」として流通することになるわけで、そのことってとても重要なんですよ。
『WIRED』は、ある時期からそういうことを考えながら運営するようになっていったんですが、そうすると、たとえばAmazonで自分たちとは関係ない本のレビューに、「『WIRED』みたいなことが書いてある」と書かれたりするようになるんですよ。そこで使われる「『WIRED』みたい」という言葉の情報量って案外多くて、「『WIRED』みたい」というだけで、「意識が高くて、海外の情報が多くて……」とか、そのぐらいのことが伝わっているので、そういう認識が、ファンでない人も含めて共有されたら、こっちは、もう自分で自分のことを定義する必要もなくなるんですよね
三船:なるほどなぁ……。
若林:どれだけファンを作っても、その外側に行けないのであれば意味がないですよ。その外側にちゃんと届かないと、社会的なものにならないんですよね。THE BLUE HEARTSがデビューしたとき、NHKかなんかで初めて見たんですけど、「なんじゃこれ!」って思ったんですよ(笑)。隣で見ていた母親も「なんなの、これ」って怒ってて(笑)。でも、それって大事なことじゃないですか。母親が「酷い」と言うんだから、それは、いいものに違いない、ってこっちは思うわけですから(笑)。
三船:それは間違いないですね(笑)。
若林:そういう意味で、情報の意味っていうのは、実は直接自分に届くものではなくて、たとえば隣で見てる母親との関係性のなかで成り立つものだと思うんです。電車の吊り広告の情報の意味は、あれが「不特定多数のみんなが見ている情報を自分が見ている」という状況そのものに宿るんです。そういうやり方で、情報に社会性をどう持たせていくのかっていうのは、メディアの問題なんですけどね。なので、今日、話を聞いていて、もったいないなと思った部分もあるんです。
三船さんみたいに映画好きで、ちょっと海外かぶれで、昔は引きこもりで……こういう人間の類型って、共感できる人は世の中に多くいると思うんです。そういう部分が、もっとみんなの目に届けば、現代という時代に1つの新しい人間の類型というか、サンプルを与えられることができると思うんですよね。要は、普通のサラリーマンの目に届くような場所で、三船さんの人間としての類型が可視化されることで、好き嫌いは別として「こんな若者がいるんだな」って思ってもらえたら、1つ、今の若者像とか人間像がアップデートされて、多様にもなるわけじゃないですか。
三船:人間としての類型か……そこまで大きく考えられていないですけど、自分がどういった形で既存のミュージシャン像をアップデートできるのか? ということは考えるんです。「P A L A C E」みたいなコミュニティー作りなんて、他のロックミュージシャンはやらないと思う。でも、「ロックバンドはこういうことをやるべきじゃない」みたいな、誰かが作ったレールに乗る必要は全然ないなって思うんですよね。
過去の、たかが数十年間のヒストリーに乗っかるよりは、新しいアイデアや新しい角度があるものを作りたい。そういう気持ちが強まっているからか、最近、時間の流れをすごく意識するんです。時間って常に流動して、変わり続けていますよね。その水銀のように流動する時間のなかで、自分たちはどう寄り添うのか、どう抗うのか、それをどう感じるのか……そういうことを、すごく意識するようになってきたんです。
ビジネス的な数値からなにかを判断することには、絶対に限界がある。(若林)
若林:アーティストやクリエイターと呼ばれる人々がなぜ、世の中において重要かというと、流動する時代のなかで、独自の羅針盤を持ちながら「これは気分じゃない」「これはちょっと違う」っていう判断を、根拠があろうがなかろうが下せるからなんですよ。今年、カニエが5週連続でアルバムを出したけど、7~8曲入りで25分くらいのフォーマットで揃えてきたじゃないですか。
カニエ・ウェスト『Ye』(2018年)を聴く(Apple Musicはこちら) / カニエは自身の『Ye』を皮切りに、Pusha T『DAYTONA』、Kid Cudiとのコラボアルバム『Kids See Ghosts』、Nas『Nasir』、テヤーナ・テイラー『K.T.S.E.』を立て続けに発表
若林:これって、SpotifyやApple Musicを分析して、「どのくらいの時間でリスナーは離脱するか?」ということを計測して20~25分で離脱しているといったあたりの判断から出てきたものだとも思うんですけど、それが統計としてわかったとしても、一方で、じゃあ「20分のアルバムを作れ」と言われても単に曲数減らすだけの話じゃ済まないわけですよね。それを表現として20分で完結させるためには、これまでとは別のクリエイティブにおけるアプローチが必要になるわけじゃないですか。
三船:はい、まさに。
若林:ビジネス的な数値から、「これからのアルバムは20分だな」というのは、たぶん予測もつくんですよ。でも、だからと言って、すぐにそれがフォーマットにはならないんですよね。今回のカニエのように、20分でアルバムが成立し、それが決してかつてのアルバムの単なる縮小版ではなく、自律した作品であることをミュージシャンが証明しえない限り、それはフォーマットにはならないんですよね。
だからこそ、ミュージシャンが、ぼんやりとでも「今、これじゃないんだよなぁ」とか、そういうことを考え続けることは、すごく重要なんだと思うんです。それは、外から見たら決してロジカルとは言えなくても、時代が持ちうる最も精妙な羅針盤であるんだと思うので。音楽に限らず、アートでも文学でもそうだと思うんですが。ちなみに、新曲“HEX”は、音像もこれまでと変化してるじゃない? それも、三船さんが今の時代のなかで、内発的に選びとった変化だと思うんだけど、どう?
三船:そうですね。「自分がギターを弾けば、どういう音が出るのか?」って、もう自分である程度わかっちゃっていて。そこには予想外がなく、ときめきがなかったんですよ。今まで培った貯金でしか曲が作れない……どこかで、そんな自分の殻を破らないといけないなって思っていたんですよね。
三船:それで、ギターやピアノのコードを1回録って、それをバラバラにチョップしてサンプラーに入れるっていう、「分解と再構築」をコンセプトにして曲を作ろうと思ったんです。
若林:なるほど。
三船:自分の音楽が、アメリカやアジア、ヨーロッパで鳴っている画は想像できる。じゃあ、次に必要なのはなんだ?……そういうことを考えると、結局、「人間の繋がり」みたいなことに考えが及ぶんですよね。「皮膚の外側は僕じゃないのか?」とか、「自分が出会っていない人や音楽のほうが、世の中には多いんだよなぁ」とか、世の中はもう「ロックバンドのドラムサウンドはダサい」みたいな風潮になっているけど、でも僕らはバンドだしなぁ、とか……そんなことを考えながら外を見れば、ドナルド・トランプやマリーヌ・ル・ペン(フランスの保守系政治家)がいる。
それで「自分の心にどれだけ潜れるか?」という試みのなかで音を探していくうちに、“HEX”が生まれたんですよね。『ATOM』以降で120曲くらい作ったんですけど、なかなか「この曲で世界と戦っていこう」っていう確信が持てなかったんですよ。でも“HEX”ができたときに、真芯で捉えた感覚があったんです。
「P A L A C E (β)」に参加して、ROTH BART BARONの近況を知る(サイトを開く)
- プロジェクト情報
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- 『ROTH BART BARON「P A L A C E (β)」』
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3年ぶりのフルアルバムを多くの人達に届けたい、バンドとあなたが繋がる新しい場所『P A L A C E』を作るプロジェクト。
- ライブ情報
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- 『ROTH BART BARON Live at FEVER』
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2018年9月16日(日・祝)
会場:東京都 新代田FEVER
開場 16:15 / 開演 17:00
料金:前売り3,000円(ドリンク別)
バンドメンバー:
三船雅也(Vo,Gt)
中原鉄也(Dr)
岡田拓郎(Gt)
竹内悠馬(Tp,Perc)
大田垣正信(Tb,Key)
西池達也(Key,Ba)
- リリース情報
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- ROTH BART BARON
『HEX』 -
2018年7月25日(水)配信
- ROTH BART BARON
- プロフィール
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- ROTH BART BARON (ろっと ばると ばろん)
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三船雅也(Vo,Gt)、中原鉄也(Dr)から成る2人組フォークロックバンド。2014年、米国フィラデルフィアで制作されたアルバム『ロットバルトバロンの氷河期』でアルバムデビュー。続く2015年のセカンドアルバム『ATOM』は、カナダ、モントリオールのスタジオにて現地のミュージシャンとセッションを重ねレコーディングし、「felicity」よりリリース。2018年現在は、待望のフルアルバムをこの秋にリリース。発表に向けたクラウドファンディングを開始し、バンドとお客さんの新しい世界を作る『P A L A C E (β)』プロジェクトを立ち上げた。
- 若林恵 (わかばやし けい)
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1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、『月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。
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